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2008年6月

2008年6月30日 (月)

ゆるされた時間とおもうバスを待つ

友人からメール。
「高2、高3と担任した教え子が鬱で自殺しました。大学の3回生でした。告別式に参列・・・なにがなんでも生きなければと思いました・・・」

いのちを思う日・・・。
去年、友人と訪ねた花の寺でみた「沙羅の花」を思い出した。朝開き、夕方にはぽとりと落ちてしまう白い花・・・。短い生の時間に触れ会えたことを、とてもうれしいと思った。
白い花が降りやまない。

2008年6月29日 (日)

ぼんやりと日曜の娘の足の裏

文化祭も終わり、テストまでの中休み?
お昼近くまで足の裏投げ出して寝る、寝る。
起きても、足の裏ゆらゆらさせながら漫画を読んでいる。
まあるい指がころころ並んで足の裏の呑気なこと。

こんなになんでもない雨の日曜が、いとしい・・・。

2008年6月28日 (土)

薄笑いコップの中の母の義歯

ピンクの歯ぐき、使い込まれた入れ歯は、あきらかにからだの一部。
どちらかというと、臓器に近い気がする。
私ならもう少し人目につかないところに置くのだけど・・・。

食卓で、私と娘の会話を聞いていた。

2008年6月27日 (金)

赤い魚ひらひら家族ほしがらず

正統派の金魚鉢が好き。まん丸くて口がフリルみたいになっているの。
あれ、横から金魚を見ると、魚眼レンズでのぞいたみたいになるけど、中から見ている金魚はどうなんだろ?
魚眼のうえに、ゆがんだ景色をみるのかな?のぞいてる私の顔なんて、どんなだろ?何度見てもおかしい・・・わけないわなぁ。不気味?

私もヒマやなぁ・・・しかし。

2008年6月26日 (木)

問いただす岸田今日子の声になり

あの声に嘘はつき通せないと思う。
すべてお見通しの魔女の声だもの。

あの声で、確かめてみたいことがある。
ひとつだけある。

2008年6月25日 (水)

来年も蛍はだれも愛さない

「お姉ちゃんて、佐野洋子と似てるね」と、妹から言われたことがあった。
当時は、佐野さんの絵本や童話しか読んでいなかった。
佐野さんの作品には、底意地の悪そうな女の子や、浅はかだったり、屈折した人が出てくる。悪人、善人という描き分けではなくて、みんな悪人で善人なのだ。
佐野さんの作品は大好きなのに、(どうせ私はあなたと違って屈折してるわよ)・・・私は、妹に心の中で毒づいた。

「シズコさん」を読んで、佐野さんの作品に惹かれるワケが、似てると言われるワケが分かった気がした。ねじれ具合が近いのだ。母を好きになれず、そのことを責めつづけて・・・。

けれどもしかしたら、溺愛された妹も、違ったかたちで母が重いのかもしれない。彼女の目には、とっくに母など、家など捨てて、いつも自由に生きる姉が映っているようだ。

2008年6月24日 (火)

つながれてみたかった手が眠ってる

佐野洋子さんが母親との葛藤を書いた「シズコさん」が書店に平積みされていた。
手にとって書き出しを読んだら、『4歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、ちっと舌打ちして私の手をふりはらった。その時から母さんと私のきつい関係が始まった』とあった。・・・思わず本を閉じて置き、小走りで逃げ出すように書店を離れた。

私の母も、幼い私の手を振りはらった。舌打ちはしなかったが、二度と自分から手をつなぐことができないくらいの拒否を感じさせた。

夕べ、友人が「シズコさん」を貸してくれた。読み出したらとまらないだろうな・・・。

2008年6月23日 (月)

ときおりのはげしい雨に匂い立つ

雨は匂いを運ぶ。

あ、庭の草がのびてる・・・。
犬は今日もたいくつだ・・・。
バナナが熟れてきた・・・。

それから、それから
雨の駅でずっと待っていたときの、シュークリームの匂い。
雨の梅林の、ひとつ傘の中の梅の香。
・・・雨の記憶の、匂いの記憶をとりだす雨の日のあそび。

2008年6月22日 (日)

旧姓で呼ばれたわたし死語みたい

生まれてから結婚するまでの名前の私と、結婚してからの名前の私が、ちょうど半分半分になった。今の名前の方がずっと長いような気がするのは、時間の長さではなくて重さの違いだろう。「わたし」について考えた重み・・・。

同窓会以来、同窓会の掲示板ではまだやりとりが続いていて、そこでは旧姓で呼ばれている。旧姓のフルネームは、とっくに流行りすたれた言葉を聞くように、酸っぱいような気持ちになる。

実は「八上桐子」は、川柳の雅号(ペンネームみたいなもの)だ。仕事もしていない今は、桐ちゃんで呼ばれることの方が多くなっている。桐子は、旧姓の私の最初の私・・・ややこしいけれど、私の中にいる幼い少女の私が新しい名前と言葉を得たような気がする。たかが名前、されど名前・・・。

2008年6月21日 (土)

鬼薊書類選考不合格

・・・気をとり直そう。
全身を棘にしてうつむいて咲くオニアザミも
なにかワケがあったのかなぁ・・・。

2008年6月20日 (金)

くねくねとひとりへつづく川になる

曲がりくねりながらも、私へとつづいている。
花いかだを流したり、蛍の乱舞する季節もあった。
あと一滴で決壊しそうな日も・・・。

多少の雨も、今はゆるやかに流れている・・・。

2008年6月19日 (木)

堕ちてゆく一心不乱くりの花

「歴史はみんなウソ、去ってゆくものはみんなウソ、あしたくる鬼だけがホント」
人形劇俳優 平常(たいらじょう)公演「毛皮のマリー」(寺山修司原作)へ。

人形劇というので、いくつものリアルな人形を操っての劇かと思いきや、顔と手だけの人形やトルソー、仮面、そして人形を操る常さんも人形の一体となり演じ分けるような、とても不思議な人形芝居だった。

お芝居には、舞台セットという制約があるので、そこには“~のつもり”という観客との約束が必ず生じる。今回のお芝居は、その約束だらけの上に成り立っていた。それでも、違和感を感じさせず、ぐいぐいとその世界に引きずり込んでゆく魔力があった。

恥ずかしながら、私は栗の花を知らなかった。
ホタルツアーのときに、満開の花の名を尋ね、栗の花知らんの?と驚かれた。
倒錯した修司の世界に浸りながら、ふとあの栗の花の香が鼻をかすめたような気がした。

2008年6月18日 (水)

仮の世を抜けるホタルを追いながら

古い句ですが・・・。

夕べは、友人たちとホタルツアー。
電車でたった45分で、のどかな田園風景の中の無人駅へ。
日が暮れると、蛙の大合唱がはじまり、一帯は闇の濃淡に。
その闇にホタルの光は、冷たくやわらく浮かんでは消える。
おぼろ月の下、なにもかも幻想のようなひとときに酔った。

*こぼれ話
打ち合わせメールのやりとりで、「電車だったらビールが飲めるし・・・」と書いた人がいた。今どき四人がけ向かい合わせの座席じゃないし、ジョーダンだよねと皆読み流したが、約一名ゆで卵をいっぱい茹でてきていた。いくらおばちゃんたちでも、横一列の通勤電車でゆで卵は剥けないよ!・・・でも、ビニール袋に入ったゆで卵のなつかしいこと!

2008年6月17日 (火)

種なしぶどうせんないことのぽろぽろと

「せんないこと」は、大阪弁で仕方のないこと。

亡くなったおばあちゃんが、日常のちいさな災難や煩わしい話に
「せんないこっちゃなぁ・・・」とよく言っていた。
まだ若かった私は、何でもせんないで済ましちゃいかん!と、
おばあちゃんの分まで怒っていたけれど、
近ごろは、「せんないこっちゃ・・・」でやり過ごすことも多くなってきた。
そして、血気盛んな娘から、怒らいでどうする!と責められる。

こうして、いろいろなものが巡りめぐっていくのだなぁ・・・。しみじみ・・・。

2008年6月16日 (月)

敵意かな夾竹桃の長い赤

実家へ行く道の途中、工場のフェンス沿いに夾竹桃が並んでいる。
古い工場よろしく大きな木々は、昨日、今年一番の赤い花を咲かせていた。
今から、夏の終わりごろまで、雨に炎天に咲き続ける。
あまりにも花が長く、赤く、葉や樹皮には毒もあるらしく、ちょっと怖い花。

2008年6月15日 (日)

会いたさの雨を走って鮫になる

一途とは、げにおそろしく、うつくしい。

幼い日の、うつくしい事件を思い出す。
4歳の冬のこと、私は高知城のお堀に落ちてしまった。
たまたまハネムーンに来ていた男性が、飛び込んで助けてくださったのだ。
その方の名を記した紙片を、母は失くしてしまった。
ひと言お礼を申しあげたいが、探し出す手がかりがない・・・。
ありがとうございます。・・・いつも、見知らぬ方へ思う。

2008年6月14日 (土)

逆なでに弱い鱗をもつオトコ

あらあら、剥がれてしまいましたか・・・。
それにしても、なんて立派な鱗・・・さぞ重かったでしょう。
こんなに頑丈な鱗を纏っていたら、大きくなれませんね。
もう鱗は捨てて、シャープな太刀魚や、深い海の色に輝く鯖、直情タイプのハリセンボン・・・そんな生き方もどうでしょう?

2008年6月13日 (金)

ありふれた窓 灯りかな祈りかな

秋葉原の事件は、やりきれない。
今日になって、高校生のころから、両親と疎遠だったことが伏線になっている可能性が大きいと報じていた。

思春期の子どもとのコミュニケーションは難しい。子の非行も、昔は仲間と群れて悪さしていたのが、人とつながらないかたちへ、反社会から非社会へと変わってきている。
ひとたびこじれると、子は固い繭の中にこもり、簡単に糸口はみつからないのだ・・・。

ありふれた屋根の下、祈りのような灯がともる。とにかく、あきらめないで・・・。

2008年6月12日 (木)

ひとりあそびの仮面舞踏会うふふ

ネット上で多く見られるトラブルに、「自作自演」「なりすまし」があるそうです。
ブログ主自身が読者のふりをして投稿して自分で答えたり、投稿でトラブった人が、別人になりすまして投稿する例もあるのだとか。
文章には、その人の“言葉遣いグセ”がどうしても出るので、意外に気づかれやすいようです。
それに今は、アクセス解析の機能も充実しているので、すぐにバレてしまいます。

踊り終え仮面をはずす男女、出てくるのは同じ顔、顔、顔・・・。
こわくて、さみしい・・・。

2008年6月11日 (水)

ゆっくりと感情線をつたう雨

かなしみにもいろいろな味わいがある。
どしゃぶりの雨に打たれるような、かなしみ。
明けない長雨のような、かなしみ。

感情線をゆっくりゆっくりつたう雨が、
指先からぽたりぽたりと止まらない。

2008年6月10日 (火)

待つという激しさもあり水を打つ

突っ走るよりも、待ち続けることの方が
はるかに激しさを秘めている。
待つ人は、神秘の石。

2008年6月 9日 (月)

磨りガラス影のひとつが消えている

もともと実態のわからない影。
ぼんやりと赤や黒や、長いもの揺れるものが映っている。
今日、大きな影がひとつ消えた・・・。

2008年6月 8日 (日)

月光にすすぐ汚れた1ページ

今夜の月みました?ぼやぼやの。
・・・二日酔いですわ~。
夕べ、すっかり意気投合して飲み明かしてしまいました。
お月さん、かなりいける口。顔色も変わらへんし。
冷の日本酒くいくいと、ええ飲みっぷりで・・・。
え?気持ち悪い?・・・かなんなぁ。黒雲に隠れて寝てなはれ。

2008年6月 7日 (土)

呑まれゆく月まで運ぶ波だから

逃げられない大きな波がくる。
きっと月まで運んでくれる波に違いない。
よし、呑まれてしまおう。
今夜は月にいるかもしれませぬ。

2008年6月 6日 (金)

明け方の夢のしたたる膝の裏

先日、右足首捻挫の日にみた夢。
鏡をのぞくと右眉毛がなくなっていた。
不吉な予感はあったけれど、防げなかった・・・。

今朝方は、水辺の夢をみていた。
子どものころから、よく夢でみる堤防の風景。
もう少しみていたい気持ちで目覚めた。
今日は、もちろん無事。

2008年6月 5日 (木)

感づいた枇杷の香まとわりついてくる

明日の約束を聞いていたのだろうか?
急に匂い立ちはじめた枇杷・・・。
その香がどこまでも追ってくる。
たまりかねて、剥いて噛みこなす。
黒い秘密の塊がきらきら光っていた。

2008年6月 4日 (水)

たぶんきっとボタンを失くすみたいにさ

突然いなくなるんだろうな。
大好きだった白いシャツのボタンみたいに。
似たような代わりのボタンをつける気がしなくて、
私は、シャツを手に途方にくれたっけ。

シャツは捨てられないまま、
もう私には似合わなくなった。

2008年6月 3日 (火)

水無月の雨に流れた蟻の家

やっと雨があがったので、
自転車でおじいちゃんちにお米をもらいに行き、
友人の娘さんに横流しする。
若さの勢いで家を出て、それなりの苦労をしてるみたい・・・。
不器用な子を、不器用に応援する。

雨にも濡れないところじゃ、つまらない。
ここが好きだから、何度でも家をつくるよって、蟻も。

2008年6月 2日 (月)

わたしの赤で修司の余白汚したり

寺山修司の短歌集「月蝕書簡」を読みはじめる。
一首、一首、不思議な物語をみるよう。

一頁に一首。
その余白を赤く染めたのは、涙?血?・・・。

2008年6月 1日 (日)

枇杷の種いまさらなんであんなこと

久しぶりの友人が泊まりにきて、ゆっくり話す。
お酒も飲んではしゃいで、ついしゃべりすぎてしまう。
あ~言っちゃった~は、いつものこと・・・。

おいしい枇杷、黒い種がころころとお皿に残った。

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