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2009年1月

2009年1月31日 (土)

踏んだかもしれない 足跡濡れている

この句について、足跡が濡れているなんてよくあることだから平凡・・・と言われた。例えば、血がついているとか言わないとドキッとしない・・・と。
そこで、「踏んだかもしれない 足跡が赤い」というのも考えてみたけれど、どうも濡れているが捨てきれない。私の中では闇の中で、濡れているのが水なのか血なのか分からない怖さなのだ・・・。(わかるかい!)

2009年1月29日 (木)

もういない人へと仕立て屋のはがき

そこにはまだ、その人の首周りや肩幅や身丈やらが残されているだろう。顔も首も胴体も、なんにもないトルソーのひしめいている洋装店。

2009年1月28日 (水)

ぽたんぽたん 聞いてあげればよかった

今夜は「くねる」新年会だったが、終盤は“母と娘”というハードな話題になった。
聞き合うということは、大事なことだなぁとしみじみ・・・。



2009年1月27日 (火)

無宗教無党派無口青海鼠

天宇受売命(あめのうずめのみこと)が海の魚を集め、「天つ神の御子に従うか?」と訊いた。魚たちは皆「従う」と答えたのに、なまこだけは黙殺した。怒った天宇受売命は「この口は答えぬ口か」と紐小刀でなまこの口を切り裂いた。以来なまこの口は裂けている。・・・のだそうです。

意外と骨のあるヤツのようです。
大好物です。なまこ。

それにしても、女神様、こわっ!

2009年1月26日 (月)

振りきって渡る 流れが速くなる

昨日、「川柳 凛」という会の、十周年記念句会に出席。同人に知り合いがいるわけでもなく、どういう流れの川柳の会かも知らず・・・。
川柳と懸命に向き合う方々のお話、すばらしい句の数々。川柳に対する姿勢を見つめ直し、また、自身の句に足りないものが鮮明に見えて、得るものの多い句会でした。
停滞していた川柳がようやく流れはじめる気がしています。昨日の出会いに、感謝です。

2009年1月23日 (金)

ちいさくなった母の出てくるポチ袋

久しぶりにプリンターを使おうとして、机の隅にポケモンのポチ袋を発見。こんなのあったっけ?と裏返すと。
 長い間お世話になりました。
 電気代の足しにしてください。
 身体に気をつけてね。
母だ・・・。
「旅行ありがとう」じゃなくて、「電気代の足し」・・・。家でそんなことを言われているのかな・・・?
折りたたまれたお札を、何度も手のひらで伸ばしてみたけれど、背を丸めるようにまるまってしまった。

2009年1月21日 (水)

聞きたけりゃさあとろとろにしてごらん

先日の句会、お題「とろとろ」の句。
Y子ちゃんが、桐子は絶対にとろとろになんかならない!って。人をゲソみたいに!
じゃあどうして聞き出すのさ。
・・・殴る蹴るのボコボコ。
そんなことで、あたしゃ口を割らないよ。やっぱりとろとろよ、とろとろ・・・。
・・・別に聞きたいこともないけど。
ないんかい!

2009年1月20日 (火)

母帰す ちいさな雪のふいに止む

帰るべき場所に帰っていった。
私の出かけるのに合わせていっしょに家を出て、途中で分かれた。
後姿を見るのが嫌だったので、振り向かなかった。
雪の降り止んだあとの、明るさとさみしさと静けさと・・・。

2009年1月19日 (月)

垣根越しはだけているは寒椿

あられもない花の姿をみることがある。
木蓮などは、安達祐実ちゃんのお母さんのヌードみたいだけど、
寒椿は、あらまどうしましょう・・・という雰囲気。

2009年1月18日 (日)

答えだとおもう その手の置きどころ

何気ない仕草に、微妙な変化を感じてしまうことがある。相手が感じているということを、感じてしまうこともある。
お互いにだいたい分かっていることは、いいにつけ、悪いにつけ安心感がある。
まったく感じさせずに、えぇ~っ!という行動に出られると、その後とてもぎこちなくなってしまう。かなり(娘に近いくらいの)年下の人にたまにある。ジェネレーションギャップというやつかなぁ?

実は、今日のある句会で兼題のなかの一つが「答」だった。タイトル句は、例によってボツ句。
夕べ10時ごろに、いっしょに参加するM子さんから、ねぇ兼題は「苔」じゃなくて「答」だよね?とメール。夜になったら細かい字が読めないんだ・・と笑った。
でも、句会も終わってから、二つの字がよく似ていておもしろいなぁ・・・と思って。
 ひっそりと苔は答を抱いている  な~んて詠んでみたり。漢字ならではのおもしろさもある。

2009年1月17日 (土)

からだ中ふかく忘れた痕がある

動物園に連れてこられた動物たちには、忘れようとした痕がある。
ここで生まれた子どもたちにはない。

忘れよう忘れようとしているうちは、忘れられない。
忘れてしまっても、やっぱり深いところで自分の一部になっている。
・・・そんなことをおもいながら、まだこころが動物園の中にいるような日々。

2009年1月14日 (水)

陽だまりに骨はあくびをしたまんま

久しぶりに吟行に参加。
冬の動物園はひときわかなしかった。
中でも、ぐるぐる回ってきては目を合わせる象がもの言いたげで、白い目やにをつけたその目が忘れられない。

そんな中、台の上に無造作に展示された動物の頭蓋骨ののんきなこと。口は閉じているのにすかすかで、あくびをしているような、笑っているような・・・。
いずれはみんなそうなるのだ・・・と、妙に安堵した。

2009年1月13日 (火)

花八手おもいでばかりあざやかで

子どものころの思い出は、ところどころ色が強烈に残っている。
中でも忘れられないのは、5~6歳の頃の縁側。
小さな花壇には朱色のサルビアが咲いていた。
日当たりのいい縁側で、妹と遊んでいた。
妹が「いいこと教えてあげる・・・」と、小声でささやいたその瞬間、
すべての色がなくなって、モノクロの世界になった。

あとから記憶をつくりあげたのかもしれない。
けれど、あまりにも鮮明な記憶。
冬の夜の臙脂色のオーバー、初潮・・・
赤の記憶は、かなしいものが多すぎる。

2009年1月12日 (月)

飛び立ったゆっくり泣ける穴残し

北のほうへ出かけていました。
一夜明けると、私の棘も角も・・・
村ごと雪にまあるくくるまれていました。

雪の村は、気持ちを沈め、
詩や物語は、北の国で生まれるのだと思いました。

2009年1月 8日 (木)

愛に似たもののあふれている土鍋

鍋の中、みんなふにゃふにゃと輪郭をなくしていく。
どこまでが自分で、どこからが相手なのか・・・。

鍋に飛び込みそびれた葛きり一本。
透明になりたい?
いいえ、私は私・・・このままでいいのです。

2009年1月 7日 (水)

冬の日の線路それでも母で娘で

母と立つ駅。
ここまでも、ここからも、線路は交わることなく、離れることもなく横たわっていた。

2009年1月 6日 (火)

よそよそしいあなた パリパリのシーツ

宿の、糊のきいたシーツはあまり好きでない。
ひんやりと馴染まないまま朝を迎える。
かといって、くたくたのシーツも馴れ馴れしくて困る。
どっちやねん・・・どこでも眠れるくせに・・・。

2009年1月 4日 (日)

触るまでただのきれいな花だった

私にとって、“きれい”というのはあまり魅力的な要素ではない。
儚げとか、多少の毒気がある方にむしろ惹かれる。
けれど、触れて感じる、好きになることもある。
桜はそのつめたさに、薔薇はやわらかさに触れて、親しみを感じた。

2009年1月 2日 (金)

手まねきをされる つなぎそこねた手に

今ならつなげそうな手が、そこにある・・・。
あたたかいうちにつなぎなさいと、誰かの声・・・。
ためらっては、いけませんか?

2009年1月 1日 (木)

しあわせを反芻すると誓う牛

新年おめでとうございます。

何を隠そう、わたくし年女でございます。
この牛ときたら、かなしい出来事を反芻するセンチメンタル種らしいのです。
そこで、「うれしかったこと、たのしかったことを反芻する」という新年の目標を掲げました。

小さな花や淡い虹を見落とさないように、ゆっくり歩みたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。

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