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2009年4月 5日 (日)

あいするはねむくなること春の猫

破調(5・7・5になっていない句)について漠然と感じていたことを、歌人の荻原裕幸さんが実に明快に語ってくださっていた。川柳の字足らず、字余りも同じことが言えると思う。

きょうも一例あったのだが、字足らずはやめましょう、という便宜的な話をよくする。むろん字足らずそのものが問題なわけではない。ただ、定型に一度ひきよせられてから離れてゆくのと、定型にひきよせられる前に離れたところに着地するのとでは、ことばの質感がまったく違って、後者は、どこか短歌になりきれていない感じが出るようだ。前者は、カルチャーの教室だけではなく、他の場所でもあまり見かけない。(ogihara.com 荻原裕幸)

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