« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月30日 (水)

真っ先に秋は礼拝堂に寄る

夏のおわりの、朝から暑い日だった。
所用があって訪ねた、東京郊外の大学のチャペル。
重いドアを押し開けると、なつかしいようなやさしい匂いがした。
汗がさらっとひいていく・・・。
左右二列に並ぶ長椅子の、左の列の一番後ろの隅に秋が座っていた。

2009年9月29日 (火)

浮いているように沈んでいる豆腐

お誘いを受けて、はじめての句会へ。
宿題は、「沈」(沈という字をかならず入れる)と、雑詠各1句のみ。席題もなしで、「読み」に力を入れた、まったりと濃いお抹茶のようなおいしい句会だった。

こわれやすい我が身を庇うように、豆腐は自分の重さをないものとしている。

2009年9月28日 (月)

二の腕のたしかに抱いていた痛み

いとしいものは、みんな抱いた。
しっかりと抱いたよ。

2009年9月27日 (日)

生きてたら叱られたはずすべりひゆ

すっかり川柳の詠み方がわからなくなっている。
素直に吐き出すと、素直すぎてつまらなく思える。
推敲すると、装飾過剰になったり、いかにも作り物に思える。
迷路のような状態をすこしたのしみつつも、
「師」のいないさみしさを、ふと思う。・・・秋だからかな。

2009年9月26日 (土)

たましひも華やぐ日ありまんじゅしゃげ

電車の窓から見える墓地。
いつもはモノクロのようなその場所に、曼珠沙華の赤が点々とある。あの花は、あの赤は、墓地によく似合う。

ある女性に、曼珠沙華のイメージ・・・と、思ったままを伝えたことがある。思えば、言われた方は、どう受け取るかむずかしい花だ。
その人は、「あら~、大好きな花よ。うれしいわ~」と言ってくれた。「熊本に住んでいたときにね、曼珠沙華が咲くと山が燃えるの、燃えながら揺れるのよ、あなた・・・」
・・・なんども静かに燃えるTさんは、やっぱり曼珠沙華だ。

2009年9月24日 (木)

曼珠沙華 知ってしまってからずっと

線路脇、赤いピリオドを打つように彼岸花が咲いていました。
裏表のない、潔い花です。
周りからなんと言われようと、卑怯なことはしない花です。

2009年9月23日 (水)

真実はあなたの舌のずっと奥

重い話を聞かされ、口止めをされている。
胃に石がが詰まったようです。

2009年9月22日 (火)

ここまでも冷たくなれる梨の芯

梨ほど冷えるくだものはない。
中でもとびきり冷たい梨・・・。
ねぇ、なにがゆるせないの?

2009年9月21日 (月)

男より靴はじっくり選びます

靴を選ぶのが一番むずかしい。
靴は、足のむくみやすい夕方に買いましょう!という記事を読んでからは、夕方に買うようにしている。ちゃんと両足履いて、足踏みなんかもしてみる。
それでも、買って帰るといつも微妙に合わない。色違いで2足買っておこうか?と迷ったほどぴったりだった靴も、親指の付け根が痛い。
どんな靴であろうと、わたしの足は靴を拒否するらしい。ガラスの靴など、とんでもないな。

シルバーウィーク・・・箸休めのような句がつづく。

2009年9月20日 (日)

信じあう小石ひとつの確かさを

すっかり石にはまっている。
雲も、草花も見飽きないけれど、石もまた格別の味わいがある。

今朝は、目覚まし時計が止まっていて、目が覚めたらなんと出かける時間の10分前!5分で洗面、化粧、5分で着替えの早業でダッシュ。なのに、人身事故で電車が遅れていた!
あわててもしょうがないので、石の本をひらいて気を落ち着けた。

しかし石心地はこころが動きにくいのか、ことばが遠くにあるようでつかめない・・・川柳ができないということです。

2009年9月19日 (土)

呼び合うている うたうように泣くように

今日は、つれあいのおじいちゃんの25回忌だった。

音痴な人の歌をお経みたいと言うが、お経はなかなか難しい。
歌のようにして唱えることを、だれが思いついたのだろう?
どなたが節回しを考えたんだろう?
そんなことを、あれこれ思いめぐらせていた。

2009年9月18日 (金)

結んだらもつれる点を打っている

ひとつ打った点で、もつれてしまった日。
失敗した~~。


2009年9月17日 (木)

やんわりと八つも角をもつ豆腐

もちろん、私のことだ。
居酒屋メニューの一品にたとえたら、私は間違いなく「冷奴」だろう。ざる豆腐とか、湯葉豆腐なんていうこじゃれたのじゃなくて、ねぎとおろししょうがつきの一皿300円くらいのフツーの冷奴。

ついでに、夕べの句会メンバーも居酒屋メニューにしよ・・・。
ふでこさんは、「生だこ」。無垢な白にあやしげなイボイボをちょこちょこつけて、なかなかどうして噛み切れない。
びぃこさんは、「だし巻き卵」。とにかく、シンプルでやさしい。
さらんさんは、「ピリ辛こんにゃく」。しなやかで、頼りがいがある。やめられないおいしさ。
としこさんが一番迷った。にぎやかで、いろいろな味わいがあって、この人自身が居酒屋と言ってもいいくらい。「ゴーヤーチャンプルー」かな。
わたしの好きなものばっかり!早く夜にならないかな~?ビール飲みたいな~。

2009年9月15日 (火)

洞(うろ)というやさしい穴を持っている

 太刀魚や遠き光を撥ね返し
 忘るるにつかふ一日を蔦茂る
 待たされて美しくなる春の馬
 秋の湖しばらく息を吐かずにおく
 霧吹きの口さびしさや春の宵
 蜥蜴の尾つるりと黒を選びとる
 競泳の水底という四角かな
 ヨットより出てゆく水を夜といふ
 君の遣ふ言葉は薄し舟遊
 湖の底の祭りを掬ひに行く

      俳句集「海藻標本」 佐藤文香

作者は1985年生まれ。高校生(中学?)のときから、作句をはじめられたようだ。
出会ったときがその人のタイミングとは思うけれど、はじめての恋愛や妊娠、出産のときに、もし川柳と出会っていたら、どんな句を残しただろう・・・と思う。

手にとったときは、タイトルに違和感を覚えたが、読み返すうちにうまいなぁと納得。澄んだ水の中から救い上げた思いの草を、ゆっくり乾かしてできたことばを集めたような趣き。
『待たされて美しくなる春の馬』 ダントツでこの一句が好き。春の陽のような淡くやわらかな高鳴りに、輝きはじめる馬・・・だれにも止められない、どうしようもない美しさ。

2009年9月14日 (月)

束ねないでほしい 青すぎる花と

 補聴器に神戸の骨の折れる音
 正解だと思う 蒟蒻の固さ
 金魚鉢で死んでるしあわせな金魚
 味方だと言い張る底のない袋
 消し忘れた色がうしろに座ってる
 人間を踏んで三階まであがる
 落日へ百の心と百の耳
 春は黙って背中の傷口を見せる
 絹こしのこわれやすさにのめりこむ
 振り向いてくれるが立ち止まってはくれぬ

        川柳句集「両忘」 海堀酔月

なつかしくて、さみしくて、おかしくて…胸の奥からじわ~っと湿ってくるような句集だった。
「両忘」とは、是と非、善と悪、美と醜、愛と憎など両者の対立を忘れ去ることだとか。なるほど「諦め」や「開き直り」とは違う、生きることのくるしさの「受容」、やがて訪れる「解放」を感じた。
酔月氏は、「堺番傘」から川柳をはじめ、「川柳公論」、「点鐘の会」などにも所属される方だそうだ。政治が政党や派閥でひとくくりにされるように、川柳も所属で××の川柳、△△の人と言われがちだ。
これからも、一人と、一句と、出会うことを大切にしたい。
 

2009年9月13日 (日)

いっぽんの夏をゆるめに巻き終える

四季のなかで、夏だけは「終わった」と実感する。
終わり方は、その年々でさまざま。
昨年は、『正座して夏をちいさく折りたたむ』だった。
『ずっしりと水切りかごに捨てる夏』・・・そんな夏の終わりもあった。

今年は、いっぽんに編んだしなやかな夏を、やわらかく巻きとった。
このいっぽんが、いつかのための、いっぽんになる気がする。
たいせつな人と、たいせつななにかと、わたしを結ぶいっぽんに。

2009年9月12日 (土)

つまづいてほしい しあわせにするから

近ごろ「食べログ」のようになってきた。
阪急三宮駅西口を降りたところに、「MIEL」という焼きドーナツやさんがある。イートインのカフェには、風変りな本が並び、平日の朝は、1Drink+1Happyと、飲み物とプレーンドーナツ1個でなんと200円!本も手にとって読める。

外国の絵本や、「日本のカゴ どうして好きなんだろう」「包む本」「風花空心」「SANPO」「リトルプレスのたのしみ」・・・背表紙を見ているだけでもたのしい。今朝は、「鉱物アソビ」という本を手にとってみた。これがおもしろくて、おもしろくて、思わず買ってしまった。
自然の石のせかいは、奥が深くて実に魅惑的。「鉱石フェア」にぜひ行ってみようと思う。「無能の人」の気持ちに少しばかり近づいた。

作家の森瑤子さんは、創作に行き詰ったりストレスが溜まると、お気に入りの石を握って気を沈めたと聞いたことがある。ちょうど手におさまるくらいのその丸い石が、ある日前触れもなく割れたのだそうだ。悪い気をぜんぶ吸い取ってくれたのだとおっしゃっていた。
石には、ふしぎなちからが宿っている、きっと。

2009年9月11日 (金)

甘えてもいいよ蕎麦湯のぬくいうち

お初天神横の夕霧そば「瓢亭」さんへ。
たしかこの辺なのに・・・毎度のことながら見つからない。商店街のたこ焼き屋のおねえさんに聴く。「蕎麦や?・・・なぁ、おっちゃん、おっちゃん、ヒョウテイいう蕎麦や知らん?」と、通行中のおじさんに聞いてくれる。「蕎麦やか。お初天神の社務所の前の細い路地(ろぉじ)抜けたらな、行き止まりや。そこで右見てみ。見えるわ」。さすが人情の街!
あった!路地裏に、昔のひかえめな蕎麦屋の佇まい。店内も蕎麦を食べるのにほどよい暗さ。
ここの名物は、白いそば粉に細かく挽いた柚子の皮をねりこんだ「夕霧そば」。ゆずの香るお蕎麦がさっぱりとおいしい。天ぷらも、さくさくのふわふわ。

お隣に、いかにも常連の大阪のおっちゃん二人連れがやってきた。「板わさ」で昼間からまずビール。「板わさは家で食うたらなんにもうもないのに、店屋で食うたらなんでこないにうまいねん」・・・ハハハ、ほんま、ほんま。そやけど声大きい。・・・「あぁうまぁ~、蕎麦湯がうまい。わしはこの蕎麦湯飲むために、蕎麦を食べとるんかもしれんなぁ~」と、最後まで大声のうんちくが続いた。

大阪のおっちゃん、おばちゃんの会話、あるいは独り言は、周りに聞かせることが前提である。

2009年9月10日 (木)

名をつけるいっとう好きになりたくて

名前をつけたものは忘れない。
「へちゃ」と呼んでいた、すこし鼻の傾いたぬいぐるみの犬。
色合いから「永谷園」と呼んでいたスカート。
日曜の朝のほぼ定番だった、キャベツと炒り卵を、塩、コショウ、マヨネーズで合えた「きゃべつたまご」(まんまやん!)
・・・その名とともに、その手触りや匂いや味が、記憶に深く刻まれている。

だから、大好きなものには名前をつける。お茶碗にも、タオルにも、小石にも。
大好きな人にも、私だけの呼び名をつける。ふふ・・・。

2009年9月 9日 (水)

痛いでしょう こんなに晴れたまっ青は

草原句会@京都烏丸へ。
この句会は、結社、柳社にこだわらず、多様な川柳(面々)が集まるのが魅力。私のような川柳ジプシーも、気兼ねなく参加できる。また、事務局の方々の対応が毎度気持ちよくて、遠さも一向苦にならない。
おまけに、句会終了後の懇親会場「有喜屋」(京都産業会館地下)のお蕎麦がめっぽう美味しい!ひや酒も!
さらに、さらに懇親会終了後は、大丸地下へ。「Paper moon」のミルフィーユと、「FORTNUM&MASON」のパンを買って帰る。
一粒で三度おいしい句会なのだ。

帰りの電車の中で、標準語の若いカップルの会話。
「私、おむすび得意なんだ!」
「あれは、米と塩と海苔だね」 (ほかになにがあるねん)
「こうして~、やさしくにぎるんだよ」
「おむすびの半分は愛だからね」 (アイってか?!)
・・・ツッコミ入れな恥ずかしいよ、大阪のおばちゃんは。

2009年9月 7日 (月)

そのときはそのときとしてひやおろし

食べることが頭から離れない。
朝食は、パンにレタスとゆで卵、コーヒーと決めている。パンだけ、全粒粉パン、プチフランス、イングリッシュマフィンなど、日替わりで変化をつける。
朝食が終わるとすぐに、昼食を考え始める。
今日は、夕べビールを飲みすぎたので、蕎麦にしよう。そうだ、うん、蕎麦がいい!と、比較的簡単にメニューは決まった。
蕎麦は冷たいのか、熱いのか・・・ちょっと風邪気味だし熱いのだな。それなら近くのAでもいいけど、あの店は分煙じゃないのがなぁ・・・。Mは安くて店員さんも気持ちがいい。でも一味がなくて七味なんだよなぁ・・・。Tの鴨なんもいいけど、混んでるかも・・・。Kは遠いし・・・。七味に妥協してMかな。と、あっという間に昼になる。
蕎麦を食べながら、晩御飯を考える。きのこがいっぱいあるから、きのこのペペロンチーノ。いや、牛蒡があるからきんぴらで和食・・・と、起きている時間の多くを食べもんを考えるのに費やす。
いまからこんなことでいいのだろうか?と思うが、頭から離れない。川柳を詠もうとすればするほど、食べもんが侵食してきて・・・一種の逃避行動というやつかもしれない。

2009年9月 6日 (日)

観音の掌からやさしくこぼされる

人さまの顔を、ざっくりふたつに分ける。
仏顔とそうでない顔。そうでない顔には、やや用心してかかる。

ときどき電車の座席の前の列の人を、仏、×、仏、仏、△・・・などと分類する。眠っている顔は判断が難しく、おおむね70歳を超えると仏顔に近づくことを発見した。

一見仏顔でも、話している途中や、ふとした表情に、仏の仮面が外れることがある。なにをもって判断するのかと問われると困るのだが、ひと言で言うと「品」かな。

2009年9月 5日 (土)

ブロンズの重ねた指があたたかい

散歩会でお初天神、太融寺へ吟行。
ビルの谷間の神社の隅に、ブロンズのお初さん、徳兵衛さんが寄り添って座っている。徳兵衛さんの膝に添えたお初さんの手に触れると、私の手よりあたたかくてドキッとした。

境内では骨董市が開かれていて、山田医院と書かれたガラスの薬瓶に惹かれた。楕円のぽってりした厚いガラスで、手に馴染みよかった。

往生際の悪い夏は大阪に集まるのか?大阪は熱い!

2009年9月 4日 (金)

あったこともなかったことも花すすき

息子がまだ赤ちゃんだった頃。
花瓶のすすきが風に揺れるのを見て、ひとしきり笑っていた。それをみて、母が笑い、父が笑い、わたしも笑い・・・。そんなことに、今は涙が出そう。

2009年9月 2日 (水)

まもりたいものはとろりとたよりない

気なっていた、路地裏の洋食屋さんでランチ。
コの字の片方が短い「つ」の字のカウンターの角、厨房の見える席に座る。
厨房をみるのが好きだ。道具類や、レンジまわりの清潔度、調理の導線の良さは、美味しさと比例するので要チェック。熟練の調理人の手つきや包丁さばきにも見入る。
コックさんは2人。清潔度○。導線○。年配のコックさんが、注文の都度パン粉をつけてフライを揚げている。うん、いいお店だ。若い方のコックさんは、膝の屈伸を使って、全身でリズミカルにチキンライスを炒めている。美味しそう!オムライスを注文した。
角をはさんで隣のご婦人もオムライスを注文した。
ぺティナイフで玉ねぎを刻み、フライパンにバターを溶かし炒めはじめる。確信に満ちた一連の動きの美しさにうっとり見とれる。
オムライスが運ばれてきた。お~、うつくしい。つづいてお隣のご婦人にも運ばれてきた。ん?あっちの方が大きい!!卵も光ってる・・・。
かなしいことに、私は食い意地がはっている。どうしても隣のオムライスが気になる。ご婦人がオムライスを割った。断面もやっぱり大きい。それよりゆっくり味わいなさい・・・と言い聞かせても、目がオムライスを追う。
かくして、美味しいのだが、とびきり美味しいとは思えないまま食べ終えたのだった。でも、オムライスは、憂鬱な日むきの食べ物だ。ま、いっかという気持ちにしてくれる。

2009年9月 1日 (火)

ひとりにはやわらかすぎる月といる

9月は「おかえりの会」ではじまった。
あるべき“わたし”への旅へ出ていた人と、それをサポートしていた人に・・・おかえりなさい、乾杯!わたしを大切に思うことと、相手を大切に思うことは、月の表裏のようなものなのですね。

「おかえりの会」の席にいたみんなと、出会えたしあわせを思った夜。

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

無料ブログはココログ