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2010年5月

2010年5月31日 (月)

六月の虹へのぼった観覧車

神戸映画資料館「タカシ時間 vol4」へ。

ハレの日、ケの日、秋から冬、春から夏・・・町の風景がながれてゆく。
空も人も木も花も、常に動いている。無常だ。
変化のないように見える、道や建物も、眼に見えない速さで変わっているのだろう。
さまざまの命を包み込んで、町も生きているのだなぁと思う。
ふくらんだり、しぼんだり、大声をあげたり、沈黙したりしながら。

空が、ほんとうにうつくしかった。空の色、雲のかたちを、選んで撮影しているのかと思ったら、そうではないそうだ。日常的に撮るフィルムのなかに映る空は、いつもうつくしいのだそうだ。
今も、うつくしい空の下にいる。・・・みんな。

2010年5月29日 (土)

まみどりの嘘も罪だよバスクリン

嘘っぽい匂いに、うすうす気づいていました。
あったかくて、ついお湯の冷めてくるまで、浸かってしまいました。
いい匂いの嘘をまとって、ねむりましょう。
嘘のようにしあわせな夢をみましょう。

2010年5月28日 (金)

腕のなか旅の途中にいるように

何年も暮らしている街の、歩いたことのない道を歩く。
それだけで旅先にいるようで、視線まで変わる。
ちいさな木の実、枝先の鳥、建物の定礎・・・いっぱい見つける。
みどりに洗われて、ちいさな旅は終了。

Pちゃん、ありがとう!

2010年5月27日 (木)

紐いっぽんあればきっちり始末する

晩年に、父はすべてを捨てて転居した。
引越しの朝、仏壇の前には、紐で縛られた束があった。おそらくアルバムと、帳簿や権利書類だっただろう。たった二つだった。
あのころ、父の喪失感を充分に理解することができなかった。

「懺悔」の懺とは、心を小さく切り刻むこと、つらいのをがまんして心を切り刻んで悔いること、と辞書に書いてあった。            (読み解き「般若心経」 伊藤比呂美 朝日新聞出版)

2010年5月26日 (水)

二人羽織

句会では、作者の分からない作品を読んだり、聞いたりして、詠み人が分かったときの驚きや納得というおもしろさもある。
先日の句会では、作者が判明してから、あれこれ想像がふくらんで最高におもしろかった。

  ずぶ濡れの二人羽織を脱げません   敏子

私は、「ににんばおりを」を「ふたり はおりを」と読んでしまい、秀句に選びそびれてしまった。二人羽織なんて、すっかり見なくなって忘れてしまっていた。

敏子さんは、おつれあいとコンビでカフェを営んでいる。これはそのことを詠んだ句だろう。二人羽織なんて、うまいなぁ・・・。
それで二人の二人羽織だけど、相方は、かなりデカイ。そりゃあ脱げへんやろ・・・いや、その前に着るのも大変やろ・・・。どっちが演者で、どっちが黒子?敏子さんが羽織に入ったら手が前に回らない・・・Fさんが黒子・・・想像して笑いが止まらない。
濡れるというのは、二人羽織で、よく何か飲もうとして口をはずれてダァ~と零すあれかな?敏子さんは、かなりいける口なので、きっとお酒。これがうまく飲めないとなると、怒り狂うな・・・舞台上で団子状態の乱闘・・・ぎゃはは、抱腹絶倒!!!
伊丹では、ストリート落語という催しがある。ぜひ、出てほしいなぁ・・・。

2010年5月25日 (火)

破ってあげる叫びたい白い紙

紙のものに弱いと気づいたのは、ごく最近のことだ。
ビニール類は捨てられるのに、紙袋や包み紙が捨てられない。
電子書籍、なじめない。紙の本が大好き。
句も携帯にメモできない。ノートに書き留める。
触って、読んで、眺めて、書いて、常に紙は傍らにある。

生まれ変わったら、海月もいいけど紙魚もいいな。
大好きな句集に棲みついていたい。

2010年5月24日 (月)

匂い

朝の家いっぱいに、娘のオーデコロンの匂いが満ちる。
これが、甘ったるくて、好きになれない匂い。
匂いも凶器になると思うくらい、不快。
娘のいない朝は、ありのままの空気にほっとする。

もう少しの辛抱・・・と思っていたが、今朝は心の状態やら娘の態度やらに不快指数が針を振りきった。朝っぱらから、この匂いに気持が萎えるのだとついに言った。
明日からは、外でつけますから!と、出かけた。もっと早く言えばよかった。もっと穏やかな気分のときに。

娘をはじめて保育園にあずけた日。迎えに行って抱きとった娘は、朝とはまったく違う匂いになっていた。あぁ・・・私とは別の時間を過ごしたんだ・・・と鼻から感じた。
あの日から、すこしずつ自分の匂いになっていった・・・。

2010年5月22日 (土)

開脚の闇に呑まれてゆく鵜舟

鮎に会いに行った。
年のはじめに、おみくじ代わりに引いた、ガチャポン淡水魚ストラップが「鮎」だったので、鮎を知りたくなった。
鮎は、山間の川の色をしていた。控えめな姿かたち、澄んだ瞳にきりっと結んだ口元。邪心のない、一途な魚だと思う。
鵜飼までの時間、鮎をいただく。繊細な味のなかに、やさしいほろ苦さ・・・見た目より大人の味だ。洗いもよし。煮ても、焼いても美味しい。
さて、そろそろ鵜舟を・・・と、河原へ出たら、ない!鵜舟がない!・・・下流の船着場へと、舟は流れ着くところだった。すこし飲みすぎてしまったらしい。

しずかな息遣いに揺れる川面に、かがり火もろとも小舟は消えていった。

2010年5月20日 (木)

旅先の文字の熟して届くころ

波の音を聴きながら、はがきを書きました。
青いインクの文字が、海を超えて運ばれるうちに、すこしはやわらかく甘くなっているでしょう。

2010年5月19日 (水)

大阪の水の重さを持て余す

水の風景を見るのは好きだけれど、いつ見ても大阪の水は重たく感じる。
それは、私の大阪の記憶につながるものがあるからだろうか?
それともあの大阪の水の色と、街の雰囲気のせいだろうか?

2010年5月18日 (火)

眼のなかのごみ ひと言が流せない

兼題「ゴミ」。
ゴミ箱、ゴミ袋に行きかけては、何度もゴミに戻る。五味太郎や五味八珍にも行って戻る。
ゴミ、ゴミ・・・と思うあまり、夢まで見る。何者かに追われ、パリ(?)の街を逃げている。最後は、古いアパルトマンのダスト・シュートに飛び込んで、逃げた・・・レオン?・・・とにかく疲れた。
ここまでしたが、ゴミは思うような句ができなかった。ゴミ・・・。
  
   ゴミ出して生きてください紙おむつ  

2010年5月16日 (日)

粗熱をとってねかせている乳房

清野千里さんの川柳句集「白大夫」を読みかけている。
「百大夫」(はくだいふ)は、遊女、白拍子、くぐつ師など、遊芸の民の信仰をあつめた神さまだそうだ。
読みすすむと、身体感覚のひらかれていく術にかかっていくような・・・妖しい句集。読み終えたら、またゆっくり書きたい。

2010年5月15日 (土)

三面鏡の奥のひとりは泣いている

朝、娘を起こそうとしたら、長い髪がからだに巻きついている。まるで、ラッコが水に流されないように水草を巻きつけているみたい!
「髪のびたね~」と言ったら、「エクステやで。1週間、いやもうちょっと前からつけてるけど、桐ちゃん全然気がつかへんから黙っててん。・・・相変わらず、人のこと見てないよな・・・」と言われた。
・・・そう、かもしれない。最近、自分の顔もよく見ていない気がする。思い出そうとしたら、数年前の証明写真の顔が思い浮かんだ。・・・私は、いったい何を見ているのだろう?

2010年5月14日 (金)

花びらを拾う あなたの骨拾う

すこし前に、三谷幸喜脚本のTVドラマ「わが家の歴史」を見た。昭和のはじめから40年くらいまでを、ある一家を軸に、歴史も織り交ぜながら描かれていた。
その中に、一人の男性(佐藤浩市)をめぐる、本妻(天海裕希)と、お妾さん(柴崎コウ)という二人の女性が登場。佐藤浩市が亡くなったときに、柴崎コウの家族は、せめて分骨をと懇願するが、天海裕希は拒む。柴崎コウ本人は、「もういいよ」と言うシーンがあった。
もちろん遺骨は欲しかったと思う。けれど、ほんとうに愛された実感があるからこそ、あきらめきれるのだと思った。

2010年5月13日 (木)

ゆくりなく

京都のオーガニックレストラン「月庵」は、野菜のおいしさを再発見できる店だ。野菜スープ、焼き野菜・・・、シンプルな調理法でそれぞれの野菜の持つ甘み、苦味、青味などが存分に引き出され、それは大気、水、土、火・・・あらゆる自然を体内に取り込むような感覚さえ憶える。

内田真理子さんの句集「ゆくりなく」を閉じるとき、まさに月庵での「ごちそうさまでした」の気分だった。
奇をてらったようなものでなく、厳選されたことば。ことばの持つ世界を、自然に引き出し、広げ、時空を越えたところにあそばせてくれる。読後、しみじみと、ことばの使い手であることのしあわせを思った。

   てっぺんのうすい空気を奪い合う
   泣き疲れるまでの仔猫を聴いている
   何本も列車の溜まる耳の奥
   向日葵のあらかた焦げている部分
   泣かないと決めてまぶたのないさかな
   襟ぐりをゆるめ三月すべり台
   おずおずと差しだした手にぼたん雪
   くちびるがはみだしてゆく地平線
   ほらここにみんな笑っていた窪み
   やがて手は森に育ってゆくきざし

      (内田真理子句集「ゆくりなく」 あざみエージェント)

2010年5月12日 (水)

靴ずれのようだね今日のわたしたち

兼題「じんじん」
じんじんといえば、靴ずれ、深爪。
照りつける太陽、夕陽、ボサノバ・・・いろいろ考えたけれど、どうも「じんじん」のおさまりが悪い・・・。欠席投句だったので、どんな「じんじん」が出たのか気になるところ。

娘には大ウケのじんじん。
 じんじんとさせてくれないつまらない 
山本リンダかい!って、そこは、阿久悠かい!と突っ込んでほしかった! 
 

2010年5月11日 (火)

土踏まずこころもとなく舟に乗る

散歩会で、大阪淀屋橋からアクアライナーに乗る。
ぺしゃんこの舟で、ガラス越しの雨の大阪、ガラス越しの川。
みんな遠くて、みんな流れて・・・句を詠むにはもどかしい。

中之島バラ公園は、いよいよ見ごろ。
バラは何を守りたくて、棘をもったのだろう・・・?

2010年5月 9日 (日)

切り立った眉間のならぶ山手線

トウキョウはしんどいのだと、娘の友人が言う。
私も、行くたびにそう思う。
おとなも、子どもも、犬も、眉間が固い。猫は、まだマシ。

2010年5月 8日 (土)

春昼寝 砂に埋もれてゆくように

娘からのメールはいつも唐突。「裏って言ったら何を連想する?」「彷彿の正しい使い方は?」・・・昨日は、「砂の妖精っていう本あったやん。あれって作者はなんで砂を選んだんかな?」

「砂の妖精」は童話で、子どもたちが砂を掘ると妖精が現れて、一日にひとつ、その日だけの願い事を叶えてくれるというお話。
「美しさ、強さ、豊かさとかいった人の根源的な欲望は砂のように際限なくて、掴んだと思っても零れていくものだからかな?」・・・う~~ん、違う気がする・・・。

2010年5月 7日 (金)

ラムネ玉のんで澄みきるラムネ瓶

ラムネ瓶のような色の、今日の空。
ラムネ玉がつかえて、一気に飲めないように、ことばがうまく出てこないこのごろです。
けれどその、もどかしいラムネ玉のおかげで、しゅわしゅわ~っとくすぐったいような、ちいさなざわめきも感じています。
喉から胃あたりまで、ゆるいパイプマンで洗浄されているような・・・感じかな。

2010年5月 2日 (日)

念仏を降らせて墓地に佇つさくら

一等好きな桜は、実家の墓地に咲く桜だ。墓地の奥の、日当たりの悪い湿ったところにひっそりと佇んでいる。
実は、桜はあまり好きな花ではなかったが、あちらこちらの桜をじっくり愛でるうちに見方が変わってきた。
桜は、生を与えられた場で、役割を覚えながら育つように思う。名所の桜は、大女優の風格をなし、小学校の桜は、校長先生のまなざしをたたえる。堤防の並木の桜は、水をのぞいて、みな水へ水へと傾いている。
墓地の桜は、かたちなき人々の声に耳を傾けるうちに、観音様になった。春のお念仏は花びらになって、石という石へと静かに流れてゆく。
静謐でいてはなやかな春の墓地で、私もぽつんとひとつの石になる。桜は私にも、白い花びらを注いでくれた。
         (川柳 洋子の部屋 「ゲストの椅子」転載) 

2010年5月 1日 (土)

五月一日すっからかんのそらいろに

昨日まで、十日ばかりひとつの題に集中していた。くる日も、くる日も、それを思っては詠む・・・はじめての経験だった。
晴れやかですがすがしいイメージからスタートして、さみしくなったり、せつなくなったり、濡れそぼったり、乾いたり、消えたり・・・そうしたら、最後、晴れやかなところに戻ってきたのがおもしろかった。へへへ、それはいったいなんでしょう・・・ね。
夕べ、ひとくぎりつけて、今日の空のようなからっぽです。いまから散歩に出かけます。

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