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2010年9月

2010年9月30日 (木)

ふるい俎ふるい歯型がついている

食べるシーンの出てくる話や、映画が好きだ。

最近では、漫画がドラマ化された「深夜食堂」がよかった。
はじまりの、さみしいような、なつかしいような曲がいい。マスターの小林薫が、たいそういい。どういいのかうまく言えないくらいいい。これは、かなり好意を抱いているときの症状だ。毎回、決していいことばかりじゃないのに、ほろっとあたたかい気持ちになる。

食べるという行為は、からだの芯に束ねているものを解いてしまうようなところがある。食べているときは、幾分正直にもなり、スキができる。おいしければ、おいしいほど・・・。

話は変わるが、「深夜食堂」5話で、流しのゴローさん(あがた森魚)が、「函館の女」を歌った。「と~ても我慢が~できなかったよ~」・・・なんだか胸にど~んときた。とても我慢が、できなかった・・・う~~ん、空腹では言えないよ。

2010年9月29日 (水)

にんげんをさやさや哂う秋桜

ペーパードライバーになって4年。苦節ン十年、やっとゴールド免許をいただいた。
不運というか(違うだろ!)、路線バス優先通行帯違反、進路変更禁止違反とか、そんな決まりがあるんですか?なことでキップを切られ、さらに不運なことに(違うだろ!)、一旦停止無視、速度オーバーと、あらら~なことで罰金を払い、優良運転者になれずだった。
もう乗らない方が身のためと思ったけれど、ゴールド免許を手にしたくて更新してきた。

それにしても、運転免許証の写真は、なぜあれほど人相悪く出来上がるのだろう?私など、3連勤夜勤明け、風邪気味、まだ朝ごはん食べていませんというような顔である。
プリクラまでとは言わないけど、もう少し普通に写せるはず・・・。せっかくのゴールド免許なのに、ちっともうれしくない。

2010年9月28日 (火)

刈田へとストンと秋は落ちてくる

川柳としては、いまひとつ、ふたつ、みっつぐらいだが、稲を刈ると、だるま落としのように秋が落ちてくる。
稲の実った田んぼは、日本の秋を代表する風景だが、点々と並ぶ稲の切り株に落穂の散らばった田んぼからは、もっと深い豊かな秋を感じる。このたとえようのない安らかな心もちは、農耕民族のDNAがもたらすのかもしれない。
私は、イネアレルギーの役立たずの嫁だが、稲刈りの日の夜の食卓は好きだ。心地よい疲れを持ち寄って、今年のお米の話をする秋の一日。一年でお酒がいちばんおいしい夜。

2010年9月27日 (月)

ハチ

息子が瀕死の仔猫を拾ってきたのは、この春のこと。
エサをやるとまたたく間に元気になり、今では誰よりも前からこの家にいたかのような顔をしている。
息子は、「アズサ」と名付けた。娘をいじめた子の名前といっしょだったので、私はその名を呼びたくなかった。
娘が小学生のときに拾ってきた猫は「ロク」。次に拾ってきたのは、「ロク」よりひと回り大きかったので「ナナ」。順序からいくと「ハチ」の番だし、私は「ハチ」と呼ぶことにした。ちなみに、おじいちゃんは「にゃんこちゃん」。おばあちゃんは「みぃこ」と呼んでいる。猫は、犬のように呼ばれることによろこびを感じるでもなく、名前などどうでもいい様子で、どの名も聞き流している。
お勝手の裏に、ビール専用の古い冷蔵庫があり、その上がハチのお気に入りの場所だ。ビールを取りに行くと、寝そべったままのハチと目が合う。私は、一応「ハチ」と声をかける。ハチの青みががった目に、内心がざわつく。ハチをすこし苦手に思っていることを、見透かされている気がして・・・。
ハチは猫の中でも、特に人間になつかない。撫でられるのも嫌い、いつも一定の距離を置いた場に身を置く。エサをやっても、うれしいそぶりも見せず、おいしそうにも食べない。誰に媚びるでもなく、淡々と、自由気ままに過ごしている。
そんなエラソーなハチを、かわいいとは思えないが、ハチの気高さは嫌いではない。ハチを見ていると、♪にんげんなんてララララララ~・・・と、つい唄いたくなる。

2010年9月24日 (金)

悪人

映画「悪人」を観てきた。
真っ黒な人もいなければ、真っ白な人もいない。
ほとんどの人には悪人でも、だれかには聖人かもしれない。
ほとんどの人には善人でも、だれかには極悪人かもしれない。
・・・わたしも。

終わりの方で、絵本「百万回生きた猫」を思い出していた。
ほんとうの愛と出会ったとき、生も死も重くなる。
そして、心は強くなる。

方言(佐賀弁、長崎弁)の生きた映画だと思う。
標準語だと、ことばがあんなに迫ってこないだろう。
ことばから、潮の匂い、草の匂い・・・体臭が立ちのぼっていた。

2010年9月23日 (木)

キリコさんの失敗

ほんの短いつきあいでも、忘れ得ない人がある。一瞬の触れあいで、人生に大きな影響を及ぼす人もいる。
一人の少女にとってのお手伝いのキリコさんは、まさにそれだ。

小川洋子さんの短編集のなかに出てきた、「キリコさんの失敗」。同じ名前というだけで、心臓が小刻みに震えた。
小川洋子さんは、なにかが欠損した人を書く。失ったがゆえに、気づくこと、得るものを、澄んだ硬水のような筆で書く。
キリコさんは、なにも失ってはいない。少女も。けれど、何かを得ることは、何かを失うことだと、水のあたたかさをもって書かれていた。
私も、誰かのキリコさんであれたら・・・、雨のむこうの満月を見上げて思った夜だった。
          (「偶然の祝福」 小川洋子 角川文庫)

2010年9月21日 (火)

風の音わたしのどこをひらいても

今日は、健康診断なので食べ物を口にしてはいけない。
朝食を抜くことがないので、まったく元気が出ない。
蓄えは余るほどあるのに、からだがすぅすぅする感じ。

今日も、事前投句「ひらく」の句。
う~~ん、甘いな・・・。私らしい句だけど。

2010年9月20日 (月)

踏まれてはひらく仕事に就きました

木馬川柳大会、事前投句「ひらく」に出した句。

事前投句は、3名の選者の方の選の発表と同時に、選句基準、選んだポイント、選ばなかった理由などが合評というかたちで公開された。
選考基準は、「言葉と言葉のあたらしい関係性」、「言葉に貼り付いた日常的意味を剥ぎ取った非日常の言葉」、「従来の言葉の使い方を踏み破ることで創りだされる世界」など、言葉の使い方、組み合わせ方から創造される575世界の、新しさや、広がり、意外性などというところでは共通していた。
合評という形で、グループの目指す川柳の方向性を明確に提示されたように思う。
一方、選句結果は、かなりバラつきがあり、それぞれの方が特選に選んだ句を他の方は選んでおらず、当たり前だが、感動の基準の個人差は大きいなぁと感じた。同じだとつまらないし・・・。

ひとつ、戸惑ったことがあった。
私は、題の読み込み不可のところで、川柳を学んできた。大会の案内などでは「読み込み可」と付記されているときがあるので、書かれていないとき(今大会も)は読み込み不可だと思い込んでいた。
披講で、読み込みの句が出てくるたびに違和を覚えた。読み込みであろうが、なかろうがいい句はいい句に違いない。けれど、例えば「龍」という題で、龍そのもので作句するのと、竜宮城や龍角散もOKになるのとでは、大きさの違う土俵で相撲をするくらい違うことに思えるのだが・・・。
皆さんはそんなこと気にしないのだろうか?・・・素朴な疑問です。

高知の句会は、お酒を飲んでからが本番と聞いたので、懇親会に残れなかったことだけが心残り。川柳の新しい視点を、たくさんいただけた句会に感謝して、ボツ句をゆっくり見直そう・・・。

2010年9月18日 (土)

行くぜよ~

母の里は、土佐の高知。
亡くなった高知のおばあちゃんは、その名も「勇女(いさめ)」。さばさばと男前なおばあちゃんで、大好きだった。晩酌に冷酒を手酌で飲む姿もカッコよかったなぁ・・・。
おばあちゃんんの姉妹は、「虎尾(とらお)」「稲勢(いなせ)」「子兎毛(ことも)」・・・もうひとり「と熊(とくま)」さんの「と」の字はなんだったか?とにかく、生命力あふれる名の通り、豪快な姉妹だった。
親戚が集まると、飲む、飲む、唄う、飲む、飲む、踊る、飲む、飲む・・・。子どもも飲めや唄えや・・・で、唄ったり踊ったりすると、座布団の前に小銭を積んでくれた。私は、恥ずかしがりやで、歌や踊りはからきしダメだったが、お酒だけは「おまん、いける口じゃねぇ!」と褒められた。(半世紀前の話です。)

さて、明日はその土佐の「川柳グループ木馬」の大会に初参加。気合を入れて、朝からアカスリに行ってきました。(何のこっちゃ) 
えっ?句?・・・これから、やるがよ~。

2010年9月16日 (木)

ハンカチをひろげるように鳴きはじむ

にんげんの泣きには、タメがあります。「うっ」とか「ひっ」とか。
虫の鳴きにも、それはあります。「ちっ」とか「ぎっ」とか。
いろいろ共通点はあるものです。
鳴きだしたら、なかなか鳴きやめないタイプや、もらい鳴きしやすいタイプもあるようです。
どうして鳴くのかは、まだわかりません。

2010年9月15日 (水)

海が届く

N子さんからは、母の手術が無事終わりましたと、夫婦岩の写メール。Rちゃんからは、2年前とはうって変わって平常心と、ニュージーランドの入り江の絵葉書。祈りは届く、願いは叶う・・・そんなことを思えるうつくしさ。・・・ありがとう。

目が覚めて、あれれ水中にいるような・・・と思ったら、アレルギー性結膜炎だった。

2010年9月13日 (月)

パントマイム

日本で知られるようになったのは、50年代からだが、余分なものを切り捨て、制限された中により豊かな世界を展開させるパントマイムは、俳句や短歌など日本独特の表現とあい通じるものがあるように思う。・・・中略・・・
マイムの表現スタイルは、人それぞれに種々生まれている。だが基本的には言葉や物の力を借りず、何もない空間に演技者の心と身体の動きひとつで、人や物や風景を描きつつ演じるドラマであるといっていいだろう。裸の舞台に形や色を見、風や光そして刻々と変わりゆく空気の微妙な変化を感じ取る、それはパントマイムを演じる者にとって何とも言えぬ醍醐味であり、また観る側にとっての楽しみでもある。
【白泉社文庫「ガラスの仮面」 解説:清水きよし(パントマイミスト)】

他にも
マイミストの仕事はいかに観客の想像力を刺激していくか、例えて言えば静かな池に石を投げ入れるようなもの
演者の生きている限り作品も生き続け、ともに日々刻々と生まれ変わっていくだろう。30代、40代、50代と歳を増す毎に、その時でしか演じ切れない何かがあるはず。

ガラスの仮面を読み返している。解説まで見逃せない。

2010年9月12日 (日)

甘えすぎじゃないか桃であることに

先日、15年ぶりぐらいのメンバーが10人集まった。
子どもにかかわる仕事をしている人が半数いたが、皆一様に保護者の変化に戸惑っていた。
そこのけ、そこのけ、ベビーカーが通る。他の人に、どんなに邪魔になっていても我関せず。レストランで赤ちゃんが泣きひせろうが平気。おむつ替えまでやってのける。
幼稚園の参観は、ビデオやムービー撮影のため、教室の前に親が群がる。参観の度に、子と先生のツーショット撮影会。懇談は、子のことより自分のことを延々しゃべる。
ざっくり、私たちの子世代だ・・・何か間違っていたのだろか??

2010年9月11日 (土)

おじさんの純情 こおろぎのりりり

じっくり虫の顔をみた。
バッタは、夫の友人のT君にそっくりだった。
こおろぎは、見覚えがあるのに出てこずもやもやした。
今日になって、中学に体操着を売りに来ていたおじさんを思い出した。

2010年9月10日 (金)

百万遍まだ問い返すキリギリス

「鳴く虫と川柳」
江戸時代の商家、旧石橋家の座敷で縁側にはお月見の設え、そして虫の音・・・足のしびれさえなければ、実に風流な句会だった。

虫の句ということで、最初は、「百万遍まだ問い返す法師蝉」と詠んだ。「ほんとかな、うそかな、まだかな、おわりかな・・・かなかなかな・・・」。蝉は夏なのに、涼やかにさみしく問い返す。
句会場で出句時間が迫ってくる。キリギリスの声は、嘲笑うかのように焦燥感を煽る。追い詰められて、汗が噴きだして、蝉をキリギリスに変えた。

「どうして虫は鳴くのか?」と問われた方があった。求愛か、縄張りの主張か・・・?
さみしい人はよくうたう。鳴く虫も?・・・そう思って聴くと、キリギリスの声も哀調を帯びてくる。
句会場に招き入れた1匹のキリギリスは、最後まで意地を通して鳴かなかった。私かと思った。

初参加の方の特選句
 旅先で鳴いているかと身を案じ  けいこ
小枝に結わえた風呂敷包みを背負ったバッタは、単身赴任のお父さんでしょうか?下宿に戻る息子でしょうか?

おいしいイリコをいただいて、炙ってビールのつまみにした。なんか変な感じがすると思ったら、昼にみた鈴虫が同じものを食べていた。・・・いい声になるかな?

2010年9月 9日 (木)

すべり落ちるまで夜を傾ける

前の会社の同僚と、川柳の友人が同じ英会話教室に通い、自己紹介から私が共通の友人であることが判明して、めでたく飲み会となった。
あまり共通項のなさそうな3人が、漫画「テレプシコーラ」、「ガラスの仮面」の話題で盛り上がる。さらに、ひとり旅好きということから、現地ではフリータイム、宿泊は別室という、いっしょに行く意味はあるのか?3人旅の企画もあがった。

久しぶりのハーバーランドは、ぺらぺらと安っぽいお店が増えて、神戸らしさが失われていた。「恋人の聖地」?・・・電飾キラキラの夜の海か・・・。大人の神戸は、路地裏にしか残っていない。

2010年9月 7日 (火)

人間をやすむと風の声になる

「近ごろの雲は日本の雲じゃない」 Mさんは言っていた。
そういえば今朝も、ダイナミックな構図で、大盤振る舞いな感じで雲がある。

少しずつ伸びながら、雲が動いている。僅かに意思のあるように。窓の左端を出て行くまで、雲を見送った。
電話がかかる。もう、私の声になっている。

2010年9月 6日 (月)

もうことばいらないところまできたね

舞踏家のMさんは、まず「なにか」になって踊るのだと言った。からだという入れ物から、自分を抜き出すのだろうか?
Mさんの師、大野一雄さんは、「舞踏は感動だ」とおっしゃったそうだ。こころの、ふるえ、ゆれ、いたみ・・・ことばにならない想いに、からだは自然に動くのかもしれない。

ことばも、指先のように、舌のように・・・ときには自在に動かないものだろうか・・・。
もっと「なにか」になりきってみることか・・・。手始めに「ジャム」だな・・・締め切り間近!

2010年9月 4日 (土)

これもまた底のひとつとおもう空

瓶や器を選ぶとき、かたちの次に、底が気になる。
掃除のしにくい、手の届かない底は困る。
底は、うつくしく。そこんとこ大事。

人生の底もいろいろ。
深い、深い底。細長い底。大きすぎる底。
でもね、ひっくり返したら、空になるかもしれないよ。

2010年9月 3日 (金)

鍋に水 私に水 火を点ける

夫の母が、麦茶のやかんを火にかけては忘れるので、とうとう父が湯沸かし禁止令を発し、ペットボトル麦茶を買ってきた。私の実家も、母の空焚きがつづき、数年前に台所を電化したらしい。お宅もIHにすればいいのよと、強く勧められる。
安全なのだろうが、電磁調理器というものに私は馴染めない。火も出さずに煮たり焼いたりするなんて、信用がおけない。
先だって、ひとり暮らしをはじめた娘のアパートはオール電化。IHの初体験に出かけた。IHで茹でたゆで卵は、白みの部分がきゅっと強張っていた。煮ものも、なんだか味に丸みがない…気がする。
帰宅して鍋を火にかける。ゆるやかに躍動する炎が、鍋底をやさしく包む。縄文の人のように、しばし火に見とれた。ゆで卵はいつものように、ぷりんとやさしい歯ごたえだった。
          
(川柳 洋子の部屋「ゲストの椅子」転載)

2010年9月 2日 (木)

【再掲載】鳴く虫と川柳

まだ、たっぷり余裕があるそうです。
お時間のある方は、ぜひご参加ください。
すず虫、きりぎりす…すずやかに鳴いています。


*川柳イベントのお知らせ*


江戸時代から酒造業などで栄えてきた伊丹市内の郷町界隈を舞台に、鈴虫など秋の鳴く虫約
152,000匹の展示される「鳴く虫と郷町」。
今年は、上島鬼貫をはじめ俳諧文化の開花したこの地にちなみ、虫の音に耳をかたむけ、川柳を詠み、ひと足はやい秋を味わいましょう!という句会が開かれます。

  ■日  時 : 201099日(木)13001700
  ■
場    所 : 旧石橋家住宅 (
郷町界隈吟行あり)
    ■
定    員 : 30
    ■
費 : 500

主   催 : 海月句会、伊丹市立伊丹郷町館
申し込み : 伊丹市立伊丹郷町館 072-772-5959
          (夜間)
クロスロード・カフェ 072-777-1369 

2010年9月 1日 (水)

かなかなかな長い夢かなするめかな

9月は、散歩会からスタート。

「句ではなく、選に個性の表れる時代になった」・・・石田柊馬さんのお話が印象的だった。“私”“想い”を詠む川柳では、句そのものが個性だったが、“私”が詠まれなくなってきたとのこと。たしかに、散歩会では少なく感じる。・・・そのあたりのお話、もう少しお聞きしたかった。

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