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2011年5月

2011年5月31日 (火)

お詫びと訂正

進さんファンの皆さま~

「バナナマンのブログ刑事」
今日の深夜!と、念のため関西TVの番組表を確認したところ、
な、なんと、こちらでの放送は月曜日の深夜のようです!
おそらく本家より先というのはないと思われますので、
6月6日(月)と思われます。
とりあえず、昼寝は中止して起きてくださ~い!

拒まれて腰から死んでしまう薔薇

3位に終わりました。AKB総選挙じゃありません。(知ってる?)面接試験の結果です。あきらめのつく順位です。やっぱりお気楽なアルバイト生活で、いろいろな能力が劣化しているかも・・・。前途多難だわ。
ふらふらと書店に入ると、吸い寄せられたのは「やさしい仏画入門」・・・そういう心境なのね、私・・・。

そして、こんな日に届いた宅配レンタルDVDが「キャタピラー」。観ました。自分のために生きられることは、それだけでもしあわせです。
私は、この私を生きるしかない。私にしかなれない・・・。私以上にはなれない。

2011年5月30日 (月)

箱のなか手足をたたみなおされる

マルさんこと丸山進さんがTV出演されます!関西テレビでも見られるようです。明日は昼寝をして、深夜に備えましょう!私は、お腹がすいたときの用のアイスクリームとおかきも準備ずみ!

「バナナマンのブログ刑事」
東海テレビ:5月31日(火)24:40~25:10
今回の容疑者は名古屋発で全国に活躍の場を広げているアイドルグループ、SKE48。久々に名古屋に降り立ったブログ刑事たちだが、SKE48メンバー(大矢真那・木崎ゆりあ・中村優花)のブログを調べてみると、携帯専用のブログにもかかわらず、ダラダラと長~い文章が続く…。事情聴取してみると「ファンを喜ばせようとわざと長くしているのであって短くても書ける」と主張したため、今回は『商店街ぶらり川柳対決』で検証することに。検証の舞台は名古屋で有名な大須商店街。商店街で目に付いたモノなんでも川柳を詠んで良いこの対決だが、ピュアで元気な句を詠むSKE48メンバーに対し、ブログ刑事チームは日村刑事が『オッサン川柳』、大島婦警は『セクシー川柳』で対抗。果たしてどちらが勝つのか!?

2011年5月29日 (日)

雨を乗せ雨を降ろした停留所

今日は、仕事の面接試験だった。書類選考通過の通知をいただいてからというもの、この2週間は気がそぞろ。夕べからお腹をこわす緊張ぶり・・・小心な私。
朝から、こういうときの私のテーマソング、カーリー・サイモンの「Let the river run」を聴く。大雨の今朝にもぴったり!

雨の中、帰りのバスはずっと一人だった。雨は降りつづき、バスは私を揺らす。揺れるたびに力が抜けて、やっと呼吸がラクになった。

2011年5月28日 (土)

質問に答えていないすいかずら

男の人の声の話になり、「チューリップ」の財津さんの声にほんとうに痺れるという人がいて、ユー・チューブで何曲か聴いてみる。
声には痺れなかったけど、歌の出だしがうまいなぁと思った。「ほんのちぃいさな~」(サボテンの花)、「わぁがままは~」(虹とスニーカーの頃)、「あぁだから今夜だけは~」(心の旅)などなど、最初にきゅっとつかまれてしまう。

2011年5月27日 (金)

頷いてばかりの鳩を追い払う

いつも前を通る下着やさんのウィンドウに、「ななふん再登場!」と大きなPOPが出ていた。
「ななふん」?・・・なんと、女の子用のカラフルなふんどし!コンセプトは、“究極の自由と開放”だとか。ネタにはなるけれど、見せびらかすわけにもいかないし・・・ねぇ。
職場のナナちゃんに、「名前入ってるし、どう?」とすすめてみたら、「いいです」とあっさりスルーされてしまった。

2011年5月26日 (木)

どこもかもつながっている猫の地図

髪を切る。ボブ・・・つまりおかっぱ頭で、サイドで分けた前髪を長く残したら、まるでゲゲゲの鬼太郎。
下駄は、右と左でほんとうに「カラン」と「コロン」と音が違うらしい。なので、鬼太郎の♪カラ~ン、コロン、カラン、カラン、コロンは、右、左、右、右、左と、軽くスキップ気味に歩いている。かわいい!

2011年5月25日 (水)

そこにいるでしょう にっこりしたでしょう

この世に未練のある人に、魂のとりつくモノを選び手続きをしてくれる「とりつくしま係」。あの世の入口にいてくれるらしい。
そして、中学生の息子のロージンバックになったお母さん、妻の日記になった夫、孫のカメラのレンズになったおばあちゃんなど・・・遺した人や、自らの人生への想いが魂のしずかさで語られる・・・。(「とりつくしま」東直子 ちくま文庫)
通勤途中の電車で読んで、朝からしんみりしてしまった。
もし私が、今だったら・・・と帰りの電車で考える。なんだか、もういい気がした。私のいない世界は、私のいない世界で。・・・見るのもこわいし。

2011年5月24日 (火)

いつまでも骨濡れている黒い傘

降水確率をチェックする習慣がない。折り畳み傘が嫌い。駅から家が近い。というわけで、傘の用意が悪い。わっちゃ~と、走って帰ることがよくある。
今日は、電車の音が湿って響いてきたので、傘を持って出たらやっぱり降り出した。と、臨月らしき妊婦さんが泣きそうな顔で前から歩いてくる。走れないものね・・・。
「これ使ってください。私、すぐそこなので」と傘を渡した。
実は私も、お腹が大きかったとき、同じことをしてもらったことがあった。20年ぶりに、やっとお返しできた。

2011年5月23日 (月)

切っても切っても豆腐の白い闇

駅で、7年ぶりの友人とばったり再会した。
彼女は、10年も仕事で苦楽をともにしたパートナーだった。彼女が職場を去ったとき、ちょっとした引っかかりが残り、以来年賀状だけのおつきあいになっていた。同じ街に住みながら7年も出会うことがなかったのに、彼女が待ち合わせに遅れた人をつ時間のズレが私たちを再会させてくれた。
短い立ち話だったけれど、彼女も新しい仕事が軌道にのってきた様子で、「あの頃の全てが、ひとつも無駄になっていないのよ」と言ってくれたのが胸にひびいた。
会ってしまえば、ぬるま湯に浸けられた高野豆腐みたいなもので、とたんにゆるまってゆくのだなぁ・・・。
電車に揺られながら、ほんとうに全力疾走していたあの頃を思い出した。芯までもどった高野豆腐は、ぬるいものを滴らせながら電車を降りた。

2011年5月22日 (日)

ぴったりと合わさる傷を持っている

月占いによると、私は満月にほんの少し満たない月。
たわむれに、ふと思い出した人を占ってみると、その人は闇に溶けそうな細い月。私のちょうど欠けた部分に合わさる月。

2011年5月21日 (土)

ばらばらにならないように服を着る

舞踏家の方から、次の舞台のシナリオ用に、ポーの「ユラリウム」という詩から川柳を詠んでみませんか?というお話をいただいた。
好奇心旺盛な方の私が、慎重な私が考えている間に「やってみます」と引き受けてしまっていた。ああ・・・。
この詩、魂と肉体の対話らしいのだけど、超難解!ちんぷんかんぷん。それでも何度も読んでいると、ぼんやりと情景が浮かんでくるから不思議・・・。
そのうち思い出して読みたくなった本が、川上弘美「真鶴」と、よしもとばななの「白河夜船」、海やら川やら水辺つながりであり、スピリチュアルつながりでもありました。
夢にまで、湖なのか沼なのかのほとりで何かを探している私・・・。探していたのは、きっとことばだと思う。・・・まだ句にならず、苦になっている・・・もう三日間も溺れておる。

2011年5月20日 (金)

来てしまう磁石が北を指すように

川を見に行く。
名前を知らない街路樹がばっさばっさと枝を落とされていて、青い匂いが髪についた。
すべるように流れてゆく水を見ていると、大事な考えごとも忘れてしまいそうだった。いつの間にか青い匂いは流れてしまって、私だけが残った。

2011年5月19日 (木)

ひらくとき白より白き百合の白

「百合祭」のDVD上映会へ。
「百合祭」あらすじ(公式HPより抜粋、加筆)。
73歳の宮野理恵さん(吉行和子)をはじめ、老嬢ばかりが住むレトロな洋館の毬子(まりこ)アパートに、ダンディで陽気な75歳の三好さん(ミッキーカーチス)が引っ越してきた。世間からは「お婆さん」としてしか扱われない彼女たちを、立派なレディ扱いして、華やかなリップサービス、時には手を握るなどのソフトタッチも試みる。 これには、長い苦難の人生を歩んできた彼女たちも、大家の奥さん(正司歌江)を先頭に、すっかり魅了され、甘い蜜に群がる蝶々の群れのよう。三好さんは、老嬢たちのサンクチュアリのプリンス、光源氏として、一時期君臨する。宮野さんもまた、すっかり忘れていた体の奥の甘美な感覚を取り戻し、三好さんとセクシュアルな接触を持った。若い頃のセックスとは様相が異なるが、体を重ねた時の柔らかな感触に陶然となる。
 しかし、次第に三好さんの意外な過去と実像が明かになってくる。そして誰もが「自分とだけ」と思い込んでいたのに、彼はとんだプレイボーイだった。すべてが明白になった時、彼女たちは驚き、怒るが、いつまでも「騙された!」などと恨み言は言わない。三好さんに触発されるなかで、社会が押しつけ、自分たちも受け入れてきた「お婆さん」の役割やイメージを振り払い、自らの内の眠れる欲望に向かい合ったのだ。そして、いささかの躊躇もなく、果敢に<生き直し>を開始する。なかでも宮野さんと横田さん(白川和子)には、意外な展開が待っていた。二人は、手をつなぎ唇を合わせる・・・。

最後の展開は、監督の浜野佐知さんが加えたそうで、原作者は不満だったとか・・・。
タブーとされてきた老年の性愛を描いた作品と・・・評されるが、セクシャルな触れ合いというよりは、もっと広い意味でのスキンシップへの希求みたいなものを感じた。赤ちゃんが抱っこを求めるように、言葉ではない皮膚感覚で求める安心のような・・・。
この映画、海外ではとても評価が高く、日本で特に男性からは不評だったそうです。

百合といえば・・・
  百合みだら五つひらいてみなみだら   新子
  雨らしい いま絶叫の百合ひらく     桐子

2011年5月18日 (水)

こっそりと見ていた風のすることを

女の子の大事なものを奪っていった風。
思い直して返そうとしたけれど、女の子は気づいてくれなかった。
風は、欅の葉陰でしばらくしゅんとしていた。

2011年5月17日 (火)

前向けと言われる真っ暗闇の中

不気味な満月だった。
19時30分ごろ東の低い空に、大きくて少し赤みがかった濃いからし色のような月。
思わず背を向けて、猛ダッシュで帰宅。
帰宅したら、児玉清さんの訃報。ショック~!

2011年5月16日 (月)

放りあげた歯が星くず噛んでいる

職場のHさんが親しらずを2本も抜くことになり、ひとしきり歯の話で盛り上がった。
昔は、下の歯が抜けると「ねずみの歯になっとくれ」と言って屋根に放り上げ、上の歯が抜けると庭に埋めたものだけれど、今は集合住宅も多いしどうするのかな?と言ったら、『乳歯ケース』があると教えてくれた。出産祝いとかでプレゼントしたりもするのだとか。
そういえば、父は目の手術で取り出した石のようなものをもらってきて、大事に置いている。やはり、からだの一部だったものには格別の情がうつるのか・・・。見せられた家族は、皆気味悪がっていたが、美しいケースでもプレゼントしてあげればよかったな・・・。

2011年5月15日 (日)

声だけがすこし遅れてとどく夜

駅前の楽器屋さんの前を通りかかって、
ぼんやりしたお月さまを見上げたその時、
♪ Onry you~~~と、PLATTERSの声が流れた。
花火がひらいて、すこし遅れて音が鳴るように。

そして夜が、浅くなった。
誰かの声が届いたようで。

2011年5月14日 (土)

遠ざかる月をみていた沈むとき

中島みゆきのアルバム「大吟醸」を7年ぶり(?)に聴く。
このCD、7年ほど前にうちに遊びに来た友人が「貸して」と持ち帰ったきりになっていた。何度か督促したけれど、「探したらあるはず・・・」のまま今に至る。
時おり聴きたくなって買おうかと思ったけれど、友人を大事なCDを返してくれなかった人にしたくなくて、まだ返してもらっていないままにしてきた。
そんな話をつれあいにしたら買ってくれた。ラッキーである。

それで、久しぶりに聞いたら、あまり印象になかった「あした」という曲がよかった。ツボにはまったフレーズは、
  
   ♪抱きしめれば二人は なお遠くなるみたい
    許しあえば二人は なおわからなくなるみたいだ

    もしも明日 私たちがなにもかもを失くして
    ただの心しか持たない 痩せた猫になっても

なお遠くなるの「なお」、なにもかもをの「を」がいい。

以前好きだった「誕生」は、

   ♪強気で強気で生きてる人ほど
    些細な寂しさにつまずくものよ

ここは前から好きだけれど

   ♪最初に聞いた Welcome
    生まれてくれて Welcome

この「Welcome」がどうも気に入らん。しかし代案が浮かばない。

2011年5月13日 (金)

やわらかなくぼみになった古い傷

散歩会@北浜「適塾」
江戸末期の建物は、暗さ、匂い・・・板の間の感触、庭木の風情・・・あれもこれも懐かしい。
ここで眠ったら、ぜったいに子どもの頃の夢をみると思った。

中之島バラ園は、これからが見ごろ。
バラは残念ながらあまり句にならない。何と言うか、一方的に語ってくる。しかも、真矢みき風、「あなたの肌、あきらめないで~!!」みたいな・・・宝塚な感じに気圧される。

2011年5月12日 (木)

絶唱しながら沈むドライアイス

今夜のドライアイスは、清志郎の「雨上がりの夜空に」を聴かせてくれた。

 ♪Oh 雨上がりの夜空に輝く
  Woo ジンライムのようなお月さま

2011年5月11日 (水)

わからないままでいいこと狐雨

句会場に着いてすぐ、さつきさんの訃報に接した。
昨年の秋に入院されてから、親しい方々にも病名も明かさず、お見舞いも謝絶されていた。
病を公表するしないは人それぞれで、どちらがいいとも悪いとも言えないけれど、いかにもさつきさんらしいなぁと思う。
弱った花のとなりに植えると元気にさせる力があるというカモミールの花のように、背筋をぴんと伸ばし、いつも笑顔で元気を振りまいておられた。

  にぎやかな頃もあったね泡立器  さつき

泡立て器を使うたび、そう、お好み焼きのたびに、さつきさんを思い出しました。これからもです。
今夜は、冷たい水で何度もじゃぶじゃぶ顔を洗っています。洗うたびに、ひんやりとさみしいです。

2011年5月10日 (火)

神さまの目隠し外す春の野辺

神さまは、ときどき明日が見えないように目隠しをする。
目隠し鬼のようにゆらゆらと野に出れば、吹く風がさらさらと目隠しを解いてくれる。
白つめ草、はこべ、犬ふぐり・・・見つけた、見つけた・・・私も見つけた。

2011年5月 9日 (月)

何度でもわたしの浮いてくる雨夜

ここ数日、夜中に何度も目が覚める。おそらく、先月末に応募した書類選考の結果が気になっているからだと思う。連休がはさまったものの、もう10日・・・やっぱりダメだったのかな?

経験上、書類選考の発表日が知らされていれば、もう少しラクだ。ダメでも、その日にはきまりがつく。
発表日が分からないと、やっぱりダメなのか?・・・と落ち着かない日々がつづく。おまけに書類選考落ちの連絡のないところもたまにある。どこで諦めるべきか、これまた葛藤がつづく。

採用側にすれば些細なことかもしれないけれど、これも人に対する配慮だと思う。案外、その企業の体質を表しているかもしれない・・・と思ったり。
K社は、不採用の文面がありきたりのものでなく、私に向けて書かれていた。不採用だったけれど、私はK社のファンになった。応募者は消費者=顧客でもある。顧客は小さなことでファンになり、小さなことで気持ちが離れるものだ。
S社は、発表日の知らせもなく何の連絡もなかった。私は、あれからS社(親会社)のビールを口にしない。アハハ・・・八つ当たりだ。

2011年5月 8日 (日)

はっきりと見えてくるまで暗くする

山道から河原に出ると、ぱあっと真っ白に明るくて一瞬なにも見えなくなった。
明るすぎると、見えない。明るいと、見えにくいものがある。
自分というものを見るには、暗さが必要だと思う。

2011年5月 7日 (土)

もういないあなたのさみしくないように

カーネーションが、町にあふれていた。母の日か・・・。

最近読んだ、よしもとばななの「サウスポイント」で、主人公が母について、愛されているのだけれど、いつも遠い母・・・そんなことが書かれていた。もしかして、私の子どもたちもそんな感覚を抱いているのでは・・・?とドキッとした。
私の母、つれあいの母、そのまた母・・・愛情表現の豊かな人もいれば、素っ気ない人もいる。子どもたちから、日本一とか世界一の母だったと言われるのは、やっぱり豊か派だな・・・。

もういない母たちもにも、ありがとう・・・。

2011年5月 6日 (金)

青いさよなら白いさよなら ねぇどっち

今日は、澄んだ色のことばで話せていない。昨日も?
明日は、淡い緑色の「おはよう」を・・・。

2011年5月 5日 (木)

迷ったらロックな方をとるぜベイビー

そうだ、そうしよう!

頭は完全にGWモード・・・。

2011年5月 4日 (水)

こういうのイヤだと折れたマヨネーズ

そりゃ、イヤだよね。
シャキッとしたいさ、ね。

2011年5月 3日 (火)

たんぽぽの綿毛むかしの笑い声

志賀は、桜が満開。水仙や山吹、たんぽぽ・・・となつかしい花々が風に揺れ、紅葉や楓の新芽は、陽の光を透かしてレースのように輝いていた。ふきのとう、こごみ、たらの芽・・・野草たちは、冬を越えたほろ苦さを携えて春を知らせてくれる。

春よ、春・・・。

2011年5月 2日 (月)

つるつるの土曜日落とさないように

明日からやっと休日。GWに出かけるなんて何年ぶりだろう?
携帯からブログを更新する方法をすっかり忘れてしまい、ブログも5日までおやすみします。
皆さまもどうぞよい休日を・・・。お仕事の方は、がんばって~!

2011年5月 1日 (日)

骨片とひとつになって立ち上がる

震災句を詠むこと、発表することには、賛否両論がある。特に、被災者でない者が詠む場合、時期尚早であるとか温度差がありすぎるとか否定的な意見も少なくない。

阪神淡路大震災のときに幼子を亡くした夫婦が、かなしみの表出の仕方があまりに違いすぎて、傷つけあい互いを壊し合ってしまった。地震なんかに大事な子どもを奪われて悔しい、働いてお金を貯めて絶対に壊れない家を建てようという妻。子が亡くなったのに、どうして前向きにになんかなれるんやとお酒に溺れた夫・・・。
かなしみ方はみんな違う。ひとつじゃない。すぐに立ち上がれる人、うずくまる人があっていい。
支援する側も、それぞれのやり方やタイミングがあっていいと思ってきた。また、震災句募集をとっても、その目的や方法は微妙に異なり、ひとくくりにして論じられるものではなかった。

そんな中、被災した俳人、関悦史さんの「被災と俳句」はとても共感できた。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/05/29.html

よく書いてくださったと思う。被災地の外での議論は、一番大事な視点を欠いているとあらためて思った。
文芸は、役に立たない。役に立たないからこそ自由なのだと、私はうれしく感じた。

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