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2013年7月16日 (火)

なにがかなしゅうて鈴になったんや

祇園祭宵山の京都は、「つづきの会」へ。
中のお一人のご縁で、「橋弁慶」の山鉾のお話をお聞かせいただく。弁慶、牛若の人形(安土桃山時代の?)や、二人で1日1cmしか折れない綴れ織りの胴掛けやらを間近に見ることができた。一年に一度しか出さない古いものだから、魚の干物みたいな匂いがするのね・・・と思っていたら、飛び魚の干物が半紙にくるまれて、お供えされていた。すべてが、最高の贅を尽くしたという豪華さ。あらゆる意味で本物でないと、時代を超えることはできないのだ。

席題は、てんぐの顔の土鈴。熊避けに腰につけるような。
揺すられると黙っていられない鈴は、あわれやなぁ・・・と思って、タイトル句。飛躍がない、飛躍が・・・。

合評では、言われていることは概ね理解できた。けれど、実際そのように書けるまでには、何年かかかるのだと思う。
初心の頃、「説明句」と何度となく言われた。気をつけているつもりでも、説明にならないように書くまでに数年かかった。いっぱい書いて、指摘されたり、ボツになって、何度も気づくしかないのだろう。
なごやかに、率直に、地道に・・・いい会だなぁと、うらやましく思った。

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コメント

桐子さま

昨日はつづきの会へのご参加、ありがとうございました。
もっと深く一句一句に向き合えるとよかったのですが、
時間配分もあり、表面的ななぞりしかできなかった部分を
今更ながらもどかしく思います。

指摘されたことの素直な受け取りは、また今後へとつながって
ゆくものと信じたいです。

あっという間の楽しい時間でした。
ほんとうにありがとうございました。      真理子

桐子さん
よかったですね。
句会では手に入らないものが入る会ですね。
句会のシステムはそれはそれでいいのですが、
それだけを長く続けると、抜けるためだけの句作りになるようです。

これはより熱心な人がいなければなりませんが、
句のできるまでを、できてからを、また、その人の川柳の関わりを
話し合う場がもっとあってもいいように思います。
このことがどうも川柳を変えていくように思います。
お疲れさまでした。

真理子さま

きちんと批評されるというのは、
足ツボを棒できゅっと押さえられるようなもので、
痛いけれど、脳天まで痺れが走って目が覚めますね。
変な例えですみません。
昨日見えたものを忘れないようにと、反芻しています。
ありがとうございました。

政二さん

フリーで川柳をつづけるのにも、いいところはもちろんあるのですが
きちんと批評される場がないことは、最大のデメリットですね。
近ごろ、そのことを思うことが多いです。

「句会で抜ける」「合評で点をあつめる」
という価値感を抜けること、そこは大きいように思います。

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