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2013年9月17日 (火)

堕ちてゆくときも男は眼をひらく

船団俳句フォーラム。
講演 「女たちの俳句ー現状と未来」 神野沙希
シンポジウム「坪内稔典『女たちの俳句史』を読む」 中原幸子ほか
江戸時代、俳句は男性のものだった →大正時代「ホトトギス」に女性限定「台所俳句欄 →久女からの4T(汀女、多佳子、鷹女、立子)の出現 →戦後女性俳人が俳誌主宰 →高度背経済成長期のカルチャーブームで俳句に女性急増
現在は、俳句の内容、読み方において性差は薄れてきている。性を押し出す俳句も少ない。男は仕事、女は家事、育児の性別役割分業が解かれてきたことで、感覚的なものに性差が少なくなってきている。
今後は、絶対的な労働力人口不足から、女性も仕事は必至であり、男女はますますフラットになる。今後、女性ならではの感覚の俳句がなくなるのもさみしい。新しい女性らしさ(?)に期待したい。

とまあ、大まかすぎるメモだけれど、川柳も流れとしては近いと思う。ただ、川柳には若い世代(10代~30代)がほとんどいないので、現状では変化が見えにくい。
私たち世代は、女は、妻は、嫁は、母は
こうあるべきというような、旧来からの女性観と戦ってきたところがあるけれど、確かに娘たちにはそういう感覚が希薄。
シンポジウムでも、夫婦で家事、子育て中という一番若い(30代?)パネラーの女性が、「うちも主人が・・・」とさらっと言った。対等ゆえに違和感なく「主人」と口に出せる世代がきているんだなぁ。
今現在、最も性別こだわって性を発揮しているのは、セクシャル・マイノリティ(同性愛者やトランスジェンダー)と呼ばれる人たちではないだろうか?
パネリストのどなたかの発言にもあったけれど、俳句(川柳)を詠むときに性別はあえて意識しない。個々人の作品を振り返ったときに、その時代の「女性」が浮き上がってくるのだろう。

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コメント

桐子さん

確かに女性の考え方、女性に対する男性の接し方が
大きく変わったのは認めます。
しかし、まだまだ企業の中の現実は男性が優位です。
女性の結婚、出産、子育てのための退社がどうもひっかかるようです。
また、多くの女性が企業の中で男性の代わりができるほど
鍛えられているかとなると疑問です。
女性の得意な分野だけを取り上げて女性優位,または平等とするのは
全体の現実ではなく、まだまだこれからだと思います。

最後の、ふり返ったとき、その時代の「女性」が浮き上がるは
そう思います。同時に「男性」もそうなりますね。

政二さん
おっしゃるとおりです。
社会における男女の格差も、家庭内の性別役割分業も、
ジェンダー意識も、大きく変った実感はありませんね。

現代の俳句のなかに、作者名を伏せたときに、
男性が詠んだのか、女性が詠んだのか
分からない句が出てきつつある。
「男女の見る風景」が、フラットになりつつあると理解しました。

正規雇用も減って、男性にも厳しい社会ですが、
誤解を恐れずに書くと、そういう生きることの苦しさや空しさを抱える人から、
短詩文芸は遠いところにある気がします。

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