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2013年11月24日 (日)

ゆうやみをこの次だれに手渡そう

おひさしぶりです。からだもこころも忙しく、走り回っておりました。あまりにいろいろなことがありすぎて、大ネタから小ネタまでちょっとずつ握って、いや書いていきたいと思います。

さて、夕べのEテレ「寺山修司という宇宙」、寺山に影響を受けたという穂村弘(歌人)と園子温(映画監督)が寺山の謎に迫るという番組がおもしろかった。

印象に残ったことを少々。

まず、ほぼ同世代の穂村さん。短歌を書きながら、いかに想像力が大したことないかということを思う。みんな同じ給食を三角食べして育ってきて、想像力も、みんな似たところに行き着いてしまう。どうしたら日常を飛び越えられるのか?・・・それそれ!そこなんです!

彼の故郷を取材した園さん。寺山の作品によく使われる「かくれんぼ」「柱時計」。彼の作品は虚構と言われるけれど、それらのアイテムが幼少期の彼にとって、大きな意味を持つものであり原体験が貼り付いたものである。それでも、寺山が使ったときに記号めいて見えるのはどうしてだろう?とは、穂村さん。

親交のあった歌人(名前を失念)。虚構だとしても、彼はなりきって書いた。事実ではなくても、彼にとっての真実になるところ、もう一人の自分を作るところまでなりきった。

園さんの映画は、テーマはおもしろいのだけど、あそこまで血しぶきだの内臓だのを見せなきゃいけないか?と思っていたけれど、なるほど寺山のはみ出して、破裂させて描くの現代版なのだと納得。
穂村さんの肉声を聞いたのは初めてだったけど、あまりにも予想通りの話し方でおかしかった。ぜったい、タムラ君みたいな感じと思ってた。学年に1人くらいいた、ああいう男子。タムラ君、どうしてるんだろ?

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