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2014年7月 5日 (土)

川柳百物語−8話    紫陽花へ向く六月の頭蓋骨

 娘の借家の大家さんから、保証人である夫あてに家賃滞納の知らせが届いた。
 事情を聞こうと娘に電話するが、何度かけても出ない。メールにも返信がない。
 娘は昨春から、古いちいさな家を借りて恋人と暮らしはじめた。
 そう、はじめて家を訪ねたのは、ちょうど去年の今ごろ。やさしそうな彼と二匹の猫と、ままごとのように暮らしていた。
「見て〜。うちの紫陽花の青、よくない?雨に濡れたらもっといいんだよ…」。庭とも呼べないほどの物干スペースの隅に、淡い水色の紫陽花が3株並んでいた。
 秋には、仔猫が3匹も生まれて忙しいのだと、写真が送られてきた。連絡はめったになく、なかよくやっているものと安心していた。
 玄関で呼び鈴を押すが、応答がない。ドアに鍵はかかっていなかった。
 入ると、饐えた匂いが鼻をつく。部屋は、ゴミだらけ。リビングのソファに、娘は放心したように座っていた。
 彼は出て行って、居所も分からないという。
 そうだ、猫は?猫はどうしたの?と訊くと、猫もいなくなったと言う。
 紫陽花のように青白い娘の顔…、ふと紫陽花に目をやった。
 手前の1本だけが赤紫に咲いている。去年は、3本とも水色だった…はず。
 聞いたことがある。色の変わった紫陽花の根元には…根元には…根元には……。  何?  何を呑んだの?赤紫、あかむらさき、あか、む…。

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コメント

 うーん、うーん。
 ここにはたぶん、初投稿です。
 桐子さんと娘さん(Tちゃん)の両方を知る人間として、一つ前のブログ「うつる」は、ははははと笑えましたが、今回のショートショートは「?!!!」でした。もちろん創作とは分かっているのですが……。

 かつて誘われてパン教室に行ったときのこと。パン生地を叩き付ける工程の説明で、講師の女性に、「死ねばいいのにと思っている人のことを思い浮かべて叩きつけてください」と言われたとたん、ここには2度と来たくないと思ったものでした。

 私は、相手がどんなに苦手であり、嫌いであっても、その死を願うほど愚かにはなりたくありません。

 でも、桐子さんのこの文章を読むと、古めかしい殺人(?)を文学的に美化しているように思えるんですよねー。

 戦争と殺人は、たぶん人が生み出した愚かな行為の典型で、少なくとも私が生きている間に解消されるものではないと思います。
 が、それにしても、桐子さんのこの作品、センスが古過ぎやしませんか?

 昨今の「殺人」にまつわるニュースで見聞きする犯行の動機は、殺伐としているように思います。
 桐子さんには、「いま」を切り取る作品を期待します。

 

 

こんばんは。

川柳も散文も、反応のないのはさみしいものです。
お読みいただいて、感想をいただけてうれしいです。
ありがとうございます。

さて、私の表現の問題でしょうね。
美化したつもりはなかったので、正直驚きました。
自分をコントロールできなくなったときに、
子どもをほったらかして、死に至らしめるような未熟な大人の
動機の希薄な殺人(殺猫)を書いたつもりでした。
子どもも考えたのですが、そこまで書けませんでした。
あじさいの色の変化=死体は、よくあるので
そこには多少引っかかっていたのですが…。

少し前に、川柳作品で「三面鏡の沖」というのも
「古い」と言われました。
そのときに思ったのですが、
ファッションでも、時代が何周かすると
古いものがまた目新しく映るというのがありますね。
文章表現にも、そういう感覚があって、
私など、古めかしさにぐいぐい惹かれてしまいます。
ただ、それにしても、古いままでなく、
「いま」を、「わたし」を通して、新しい古さにして出さないとダメですね。
また、精進いたします。

また古いときは、「古い!」とご指摘ください。
よろしくお願いいたします。

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