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2015年1月 7日 (水)

散歩会@国立国際美術館「フィオナ・タンまなざしの詩学」

初句会は、散歩会から。

映像の断片から作句する感じで、映像作品をゆっくり鑑賞することはできなかった。
たとえば、ぶら下がる人の二本の足だけ、眠る人の指だけ…景の一部だけを切り取るとまったく違う意味を発する。そこは川柳の切り取り方と同じだ。音、声や光に誘われて別世界へ入って行くような、会場デザイン、展示の構成もおもしろかった。

  近づいて来なさい目だと分かるまで

  転がって行くよ言葉を振りきって

  おかしくもないのに笑ったままの石

  空が近くなる風船割れるたび

  どこかさみしい母という曲線

  透きとおるいのち広口瓶の中

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コメント

桐子さん
お疲れさまでした。
うーん、吟行としてむずかしい場所でした。
句はたくさん出来ましたが、句を手に入れた場所の記憶が希薄なのです。
このことになんだかもの足りないものを感じます。

これはそれぞれの問題ですが
とにかく書くことに夢中になれる状態が一番だと思います。
終わったあとのことなどを考えないで
「我を忘れる」をそれぞれがどうして手に入れるか
それに尽きると思います。

政二さん
おつかれさまでした。
年末から、川柳を読み書きしないまま散歩会でした。
きつかったです。

映像に入り込まないように観つつ
もともと切り取られたものから、さらに切り取るせいか
確かに、いつも以上に「断片」の収集でした。
目の前の景色全体から切り取るものとは、やっぱり違いますね。
昨日は、選も割れました。
おもしろい句はたくさんありましたが、
軽いというか、ぐっとくる句が少なかったように感じました。

そして集中力は、ほんとに課題です。
私など、満腹すぎても、空腹でもダメで、
散歩会は朝食からはじまっています(笑)

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