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2015年2月25日 (水)

血縁の四人ぬくいと言うている

来月は祖母の十七回忌。
近ごろ、親戚の法事に呼ばれることがめっきり少なくなった。ごく近い身内だけで努められているのか、三回忌くらいまでしかされないのか?呼ばれないのに呼んでご迷惑じゃないかしら?と、誰に案内するか?からして悩む。それでなくても参列者には、法事に集まる家数分のお供えをいただくしきたりがあって、とんでもなく負担をおかけする。
そして自宅開催。家に仕出しをとって会食するので、まるで旅館の宴会係。約1名、毎度長っ尻の客人に手も焼く。やれお酒、お茶だ吸い物だ…と走り回りながら、お供えの品と菓子、くだものを分けて、お持ち帰りセットを作る。そのうちに、食べ残した料理を持ち帰りたいとか、息子の迎えを呼んでほしいとか、千手観音の手を借りたい状態。座ってるだけでもしんどい父母は戦力外。もう、どこか外でひらいてもらえないかと思う。
友人のパートナーのオーストラリア人は、亡くなった人のために集うとはなんとすばらしい!!と、法事を絶賛したそうだ。そうか…確かにすばらしいかもしれない。要は、やり方。昔の形式通りやろうとするから大変。大事なのは気持ちなんだから、もう少しカジュアルにシンプルにやってもいいんじゃないかな…と思うけれど、父母には通じまい。

某結社の柳誌が届く。毎年、春にされていた大会の案内がない。どうされたのだろ?
近ごろ、大会が減ってきたように思う。誌上大会にシフトするところも少なくない。
以前、ある方と話した時も、会員の減少と高齢化で大会運営はもう限界…とおっしゃっていた。
そもそも大会の一番の目的は何だろう?法事じゃないけれど、するかしないかの二択ではなくて、大事なものを残す新しい方法もあるかも…。

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