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2015年2月26日 (木)

ことばのちから

おかじょうき「十佐一賞」に出した句

 散歩する水には映らない人と 

選者、德永政二さんの読みもうれしかったけれど、柳本々々さんも川柳スープレックスで、「恋する語り手」という素敵な読みを展開してくださっている。

「感動したことを詠むのではない。自分の書いた言葉が、発端の思い以上の何かを現し得たとき、そのことに感動するのだ」…俳人、三橋敏雄のことばを思い出した。
私から私以上のものは出てこないけれど、ことばの力と、さらに読み手の力で、一句は私を越えて広がる。これだ!川柳のおもしろさは。

さて、30年前、あまり考えもなしに大家族の嫁となってしまった私は、鬱々とした日々を過ごしていた。当時の私を支えてくれたのは、夫ではなく田辺聖子さん(笑)縋るように読んだ(爆)そんな中おそらくエッセイ集だったと思うが、伊丹市(田辺聖子さんも在住)には、ぜひとも川柳文学館を作ってほしい。そして、伊丹から女性の川柳作家が誕生してほしいと書かれていた。自分の住む町のことなので印象に残ったが、川柳にはまったく引かれなかった。それから20年後、川柳と出逢う。あの日のことばが、小さなタネのように私のなかに埋もれていたのかもしれないと思う。

「川柳木馬」2014春、夏合併号には、広瀬ちえみさんが「ヒーローを待とう」という文章を寄せられていた。川柳の歴史のなかで、ジャンルの沈んだ折に登場してきたヒーローたちを取り上げ、「もう一度くらいヒーローに会ってみたいのだ」と締めくくられている。柳本々々さんは、ヒーローのような気がする。 …ここにも、ことばの力を感じるのだ。

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コメント

桐子さんのこの句を読んだとき、ふと貴女が師としていたMさんを思い出しました。いい方でした。

ひろ子さん、こんばんは。
そのように読んでいただけるのもうれしいです。
そういえば、散歩会にも連れて行っていただきました。

今日は、新子先生の句集を読んでいました。
水に映らない方々が、今もいろいろ教えてくださいます。

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