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2015年4月

2015年4月28日 (火)

月明かりたるませている象の肌

ねじまき句会題詠「肌」

象の肌のテクスチャーを詠みたかったのだけど、象が好きすぎて(?)考えれば考えるほど心象へ引っ張られた。

ときどき象に会いたくなる。象の眼はこころが通いそうで、いつも落ち着かない。

  灰色の象のかたちを見にゆかん  津沢マサ子

2015年4月27日 (月)

風よ

日暮れに風が強くて、ハナミズキの白い花びらが流れていった。

いま、Aちゃんのいる白い時間のみたいに…。
花びらは、あとすこし。忘れながら、惜しみながら、急いでいる。

2015年4月21日 (火)

箱の人消えるマジック高島屋

日曜日は、ねじまき句会でした。
二次会で、「桐子さんは、無点句狙っているでしょう」と言われましたが、断じて狙ってません。高得点も狙ってはいませんが、まったく点の入らない句はダメですから。
話題になったのが、固有名詞やCMのフレーズを取り入れた句。これは、成功か失敗かのどちらかになりやすい。特に、それが使いたかったのねと感じさせたらアウト。
驚いたのは、某俳人さんが、固有名詞を織り込んで詠むと、その企業から商品が送られてきたのだとか。なかはらさんも、ドモホルンリンクルとかブルーダイヤとかもうそろそろ届くかも。

で、本日のつづきの会、兼題「箱」の句。この高島屋はいかがでしょう?

2015年4月17日 (金)

リアリズム

木村はこう述べている。「写真の真実性とか写実性とかいうものと、リアリズムというものを、ここではっきりわけないといけないと思うんですよ。真実性というのは、コップならコップは、だれが写しても写真が持っている真実ですよ。リアリズムはそうじゃなくて、作家の心の中の真実を表現しようというものが加わらなければならない」(「カメラ」1951年12月号  (「木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯 三島靖 平凡社)

写真と川柳は、ジャンルとしての課題に共通点がみられ興味深かった。
芸術としての写真、文芸としての川柳の社会的評価の低さ。報道写真、時事川柳という、時代の記録、社会批判の系統を含むところ。一握りの芸術家、作家指向と、大多数の愛好家によって形作られている、など。
写真は、カメラや携帯電話、スマートフォンのカメラ機能の進化も含め、そのたのしみを大衆に行き渡らせながら、芸術としての評価も高め、新しいものも生まれてきている。コンテストや雑誌など、カメラメーカーというスポンサーの存在も大きいけれど、何かヒントがあるかもしれない。

2015年4月15日 (水)

マチエール

「また、それまでにも欧米に比べ日本の写真がどうも薄っぺらく見えると感じていた土門は、その視覚的な「厚み」の問題を「マチエール」論としてとり上げる。絵画でいえば画材の使いかた(たとえば絵筆のタッチや油絵具の盛り上げ)による効果を、モチーフの質感をたんねんに再現し「印画紙面に視覚的触覚的な美を与える」(『カメラ』1950年4月号)ことで求める。 (「木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯」 三島靖 平凡社)

先月、川柳の勉強会でも「マチエール」という言葉が出た。言葉の素材としての質感を生かすことで、色彩、手触り、調べ、匂い……鮮明に、あるいはおぼろげに描くことができる。

2015年4月10日 (金)

スイッチON

しばらく締め切りが続くので、句集を読むシリーズはちょっとお休み。

先日、夫の母が、「ちょっと、Sさん見たか?」と言う。Sさんというのは、結婚当初より何かと比較され続けてきた、お隣のお嫁さん。家族の誕生日の手作りケーキにはじまり、元保育士だから子育てが上手、PTAに積極的…などなど、などなど、などなど。今度は何かと思ったら、去年の8月からジムに通いはじめたSさんが、8kgも減量して見違えるほどほっそりされたのだとか。
「桐子さん、もっと長い間行ってるけど、いっこも変わらへんな」「……(たしかにおっしゃる通り!)」(泣)。そういう心ないひと言が私の晩酌を増やし、運動効果をなきものにしているのです…とも言えず。帰宅後、思わずネットで「結果にコミット」を検索。高っ!2ヶ月で実感する感動体験、30万円! というわけで、今週は毎日ジムへ。何でやる気スイッチが入るか分からない。

2015年4月 9日 (木)

「芽を出せば」 香田裕子川柳作品集

  春はまず埃の中に現れる

  夕顔は隣の家を見てばかり

  咳き込むと父は罪人めいてくる

  秋という居心地の良さ両手鍋

  不自然に生きて波間に顔を出し

  梅干になってあなたにまた逢おう

  風下のほうにあるのは懐かしさ

  寝るときに必ず聞こえる音がある

  桃に花 姉からもらう化粧品

  箸を置く すべて終わったふりをして

もしかしたら、日常のすべては詩かもしれない。ただし、それを捉える感性を持ち合わせていればだ。日常詠が易しそうで難しいのは、平凡から非凡を見出すことだから。「そうですね…」で終わらない作品には、作者にしか見えなかったもの、作者でなければ捉えられなかったものが含まれている。対象と作者の間に生じた響き、そのちいさな振動が伝わってきたとき、素通りできない作品となる。多くの川柳人に日常詠が好まれるのは、丁寧に作られたおばんざい的親しみ、あたたかさ、なつかしさ…絶対的おいしさがあるからに他ならない。     (川柳みどり会 みどり選書)

2015年4月 8日 (水)

句集「青誕樹」 岡田俊介

  耳はたしかに 祈りを聞いて落ちてゆく

  一滴の水に溺れてゆく夜景

  夏の樹の下にあるのは夏の終り

  秋をつらぬく一本のくもの糸

  鹿眠る 人を弔う形して

  純愛の一断面に とぶかもめ

  一本の木の散り終わるまで兵士

  ペンを置くときにはいつも白孔雀

  萩散れば 紅は昔日までとどく

  横顔から船が出てゆくほどの新緑

どんなスポーツでも、トップアスリートの身体はうつくしい。鍛え抜くことで、作り上げられた芸術作品のようだ。川柳も、望むと望まないとにかかわらず、表現を磨きつづけることで美が宿る…そう感じた。本物のうつくしさを獲得するには、ただいちずに一句一句を重ねるしかないのだろう。
川柳において、「詩性」と「私性」、「詩性」と「ことば」は対立軸で語られることも多いが、相互に作用し合うもので、詩性を大切にしたいとあらためて思った。     (近代文藝社)

2015年4月 7日 (火)

酒社

句集を読むシリーズは、本日おやすみ。

車窓に桜を愛でながら、その名も「酒社(さけやしろ)」というお店へ。灘の酒が揃っていて感激。
例によって、ひと言で表すと…。「辛丹波」ー遠藤憲一。 「吟牡丹」ー中井貴一。「桜正宗」ー豊川悦司。「仙助」ー佐藤浩市。分かるかい!って話ですが、どれもなかなかのお味。この面子に溺れず振り切って帰れるなんて、私も大人になってしまった。

2015年4月 6日 (月)

むさし句集 「亀裂」

  着信のたびに震える防波堤

  この世から少しはみ出ている踵

  柩には櫂を一本入れてくれ

  街路灯点けば泣きたくならないか

  鮟鱇に戻ってしまう夕間暮れ

  戒名の真ん中へんの釘の穴

  優しさが少し斜めに立っている

  手のしわを見ているパンが焦げている

  いい人に会うまで風をためている

  さよならを言わない人の立ち泳ぎ

以前、柳本々々さんが、週刊俳句に「この句集を読んでいてすぐに気がつくことは、<自然>にまつわることばが多い、ということです。そして同時に気付くことは、<自然>が出てくるたびに<身体>にまつわることばが呼び寄せられるということです。」と書かれていた。
句集のあとがきには、句会、大会の題詠がほとんどとあった。たしか作者は写真がお好きで、かなりの腕前とお聞きしたことがある。ファインダー越しに見つめた風景や草花の鮮明な画像は、膨大に記憶されているだろう。その脳内ディスクに、題で検索をかけるようにして句材を掴み、身体のどこかに「亀裂」を作って取り出されているのではないだろうか。実感に即して書かれている、と感じるのだ。題詠を重ねながら編み出された、作者独自の書き方と思う。     (東奥日報社)

2015年4月 5日 (日)

西原天気句集「けむり」

  はつなつの雨のはじめは紙の音

  てきたうに光をあつめたら水母

  三時から三時一分へと蜻蛉

  ゆびさきが電気に触れて春の月

  海の家から海までの足の跡

  東京の雪のはじめのマンホール

  胸すこしつぶして西瓜はこびおり

  初雪や茶碗のふちを灯がすべり

  すこし死ぬプールの縁に肘をのせ

  アンメルツヨコヨコ銀河から微風

俳句集。映画のオープニングのような印象の句が多い。一句のなかに時間の流れや人の動きが含まれるなど動画的で、ごく自然にその先を想像させる。さらに、ことばの音楽性が豊かで、黙読しているのに耳にも心地よい。
ページを繰る途中、句意を考えずに読んでいることに気付いた。景のみでも味わい深ければ、深読みしなくていいのだ。そこはかとないユーモアや抑制された表現は、川柳ではあまり見受けない。川柳人こそ読みたい句集。      (西田書店)

2015年4月 4日 (土)

今井和子句集「象と出会って」

  蛇口からぽつんと落ちる忘れ物

  鹿と話すと淋しさがうつる

  父の描く赤い椿は母である

  ぱっと開いた傘は父さんだよきっと

  私と水音だけの朝を行く

  疲れた冬は指の先から消えていく

  これからをたくし上げてる さくら咲く

  教科書のちょっと向こうの話です

  生まれたばかりほのぼのとした本能

  人生の残りは柿の木になろう

私も含めて多くの人は、取り立てて代わり映えのしない日々のなかで川柳を詠んでいる。どのような川柳の眼で日常を眺めるかが、ある意味個性につながっていく。
作者の眼差しはやさしい。犬好きの人が犬のよろこぶ場所を知っているように、あらゆるものの弱いところ、気付いてほしかったところを見つめる。そおっと撫でるように。
生きることの発露が川柳となる。そのことを、そっと耳打ちするように伝えてくれる。からだの芯からあたたまる…生姜湯みたいな句集。 (あざみエージェント)

2015年4月 3日 (金)

姫乃彩愛句集「未完」

  咲く花の確かさよりも不在の青

  すみれに生まれすみれをこぼし続けよと

  親指をやさしく包んでグーを出す

  哀しみはある日突然 五弁の椿

  長い廊下や一本のフリージア

  かごめかごめ春の産声抱き上げる

  てのひらをうえに少年は帰らない

  埠頭の先で揺れているのはまぶたかな

  さらさらと砂に時効があるように

  紫に生まれた日から手を胸に

赤、白、黄、黒、青、紫…一句から色が流れ出る。ふしぎなことにその色はすぅーと消えて、澄んだ白へと還ってゆく。一句になるまでに、作者のなかで感情が浄化されているからだろう。その過程を思ったとき、しばらく眼をひらくことができなかった。読者を包み込むような白は、作者の読者に対するやさしさでもある。
タイトル「未完」は、「寂しさよ傷つきやすきは未完の香り」の句もあるが、常に未完であろうとする川柳人としての姿勢の表明とも思う。なんて大きな未完だろう…。
句集の装幀と内容にかなりギャップがあって、読みすすめながら驚いた。こういう作り方もあるのだなぁ。     (新葉館出版)

2015年4月 2日 (木)

飯田良祐句集「実朝の首」

   洛陽の鹿 千遍も干す布団

   堤防の男は訪問販売員

   母一人子一人で棲む腋の下

   ポイントを貯めて桜の枝を折る

   猫町に二つの月と猫車

   吊り下げてみると大きな父である

   シナモンをふりかけ東京の妹

   百万遍死んでも四足歩行なり

   愛国心なんとすばやくたたむこと

   短調から長調へとサラダ巻き

話題になった句集なので、すでに多くの方が取り上げられました。
どなたも触れておられなかったことで、私が感じたのは句姿が洗練されているということ。美的センスが、作者の天性のものなのか、計算されたものなのかは分かりませんが、字面、ことばとことばの繋がり、流れ、調べ…句のうつくしさが印象的です。このブログは、横書きなので伝えきれないのが残念!
やっぱり私は句姿のうつくしさに弱いのかな…。書体が「精興社書体」とか「岩田細明朝体」だったら、どんな感じになるのかな?と、変な妄想まで起こさせた句集でした。
(川柳カード叢書② 川柳カード TEL&FAX 0725-56-2895)

2015年4月 1日 (水)

散歩会@南禅寺〜野村美術館

満開の桜に、雨。きっと明日の桜は、しっとりと最高のコンディションでしょう。
曇天に浮かぶ桜のように、京都の記憶がぽかりと浮かんで来られた方々の思い出話もたのしかった。オノヨーコの日本語がきれいだったとか。
野村美術館地下の夜桜の絵がよかった。闇に溶けてゆく髑髏みたいだった。

 地下倉庫から夜桜を出してくる

 からっぽとからっぽ見つめあっている

 濡れながらまぶたになっているさくら 

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