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2015年5月10日 (日)

締め切り日

「自分のなかに、何かあるのかな……何もないよ。自分のなかに何かがあるなら、それはいつか、からっぽになっちゃうじゃない。自分って、そんな、身のつまった袋なのかな。日本語のほうが、自分より大きいよ。わたしはそう思ってる。その大きな日本語のなかから、ぴったりの言葉を選び出すんだ。書くことって、だから、その袋のなかから言葉を選ぶことなんだよ。あれでもない、これでもないって、考えるの。ずーっと考えるの。やり続けるの。そうすると、ぽこっと出てくることがあるよ。わたしの場合は」 (「わたしたちはまだ、その場所を知らない」小池昌代 河出書房新社)

苦吟中、たびたび本&あんこに逃避。

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コメント

桐子さん
できないことがあっても
「からっぽ」になるということはないと思います。
何かと関係を持てば何かが生まれます。
生きている限り関係は続くようです。
こちらにはなくても関係する方が持っています。
それはいくらでも自由に貸してくれるようです。
返してほしいとも言わないようです。
見たり聞いたり触ったり関係は無限のようです。
だから「からっぽ」にしたいというようなことはあっても
なってしまうというようなことはないようです。
「思う」という関係もおもしろいことですね。

政二さん
おはようございます。
秋のような青空の朝です。

出来はともかく、何とか提出しました。
ブログをアップしてから、
母から長〜〜〜い、ややこしい電話がかかり、
もうダメかと思いましたが、
政二さんのコメントを読み返して、
昨日、見たもの、聞いたもの、触れたものを書いているうちに
いくつかが句になっていきました。
ありがとうございました!!!

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