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2015年11月 4日 (水)

散歩会@南宗寺

絶好の吟行日和。天王寺からちんちん電車に揺られ、堺の南宗寺へ。
ボランティアガイドさんが、家康の墓の謎をはじめ、千利休などゆかりの人々、文化財…、丁寧に解説くださる。柳人は気の急く人が多いので、「手水鉢がありましたやろ…」「それはこの裏です」「八方睨みの龍は…」「最後にまわります」とまあ先走る。さらに「これはなんの鳥の声?」「この花は?」「これは何するもん?」と、あれこれ尋ねる。おかしな団体やなあと思われただろう。
卒寿(九十歳)を迎えられた墨作二郎氏を、あたらしい句でお祝いしたかった。抜いてくださった方に感謝。

  タタンタタ(あれは)タタ(いつだったか)タタン

  置き去りにされるきれいな名の駅に

  一人降りてだあれも乗って来ない駅

  包丁の柄に西日が当たっている

  じいちゃんの夜の詰まっているもなか

  上あごに父母張付けるもなか

  一族の墓一族の藪背負う

  白秋の白は乾いた骨の白

  念入りに石までのせておく秘密

  見飽きたであろう龍の眼に映る

  龍の眼の中にちいさい夜がある

  語り継ぐうちにほんとうらしくなる

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コメント

桐子さん
お疲れさんでした。

いいお寺でしたね。季節のこともありますが
雰囲気がよかったです。
京都のお寺は隅々まで手入れがされていて
気が張りますが、そうでないところが堺かもしれません。
奈良もそうですね。

お寺に入るまでは0でしたが
入ってから一気に書きました。
最近ではめずらしいことで
これも吟行のおもしろさですね。

桐子さんも今回はよかったようですね。
もしかするとこれは作二郎さんの力かもしれません。
とにかく川柳は川柳に一生懸命の人がいなければだめです。
最近特にそう思います。

破調と自由律の違いが
作二郎さんからいただいた「自由律川柳」のあとがきに
こう書かれていました。

破調は「定型意志」、定型の偶然・例外的現象で
これは自由律にとっての「原始的印象」である。
しかし、自由律はなによりもまず「反動的」である。
定型絶対観に対する反動であり、自由を希求する人間の精神
「人間的自由」の獲得である。

こんなことが書かれていました。
昭和16年のことです。

政二さん
ほんとうにお寺も、いろいろですね。
大阪のお寺は、気取りがないです。
奈良の、お堂だけぽんと置かれているような感じ、私も好きです。

散歩会は、その日行ってみるまで分かりません。
書ける日、書けない日ありますが、
だからとにかく、行くことが大事と思っています。

最近、昭和30〜40年代の柳誌を読んでいましたが、熱いですね。
これからも、一生懸命の人のところに人は集まるのでしょうね。
一生懸命さも、時代とともに変化していくと思いますが、
今後どんなスタイルになっていくのか、たのしみです。

自由律川柳……コンテンポラリー・川柳ですね。
昭和16年だと、作二郎さんは16歳。
ごく初期に、先鋭的なものに触れていらっしゃったんですね。
興味深いです。また、お話聞いてみたいです。

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