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2016年1月16日 (土)

火花

「火花」(又吉直樹 文藝春秋)をやっと読んだ。主人公徳永が師匠と仰ぐ神谷のことば。川柳にも当てはまる。

「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」

「一つだけの基準をもって何かを測ろうとすると眼がくらんでしまうねん。たとえば共感至上主義の奴達って気持ち悪いやん?共感って確かに心地いいねんけど、共感の部分が最も目立つもので、飛び抜けて面白いものって皆無やもんな。阿呆でもわかるから、依存しやすい強い感覚ではあるんやけど、創作に携わる人間はどこかで卒業せなあかんやろ。他のもの一切見えへんようになるからな。これは自分に対する戒めやねんけどな」

「論理的に批評するのは難しいな。新しい方法論が出現すると、それを実践する人間が複数出てくる。発展させたり改良する人もおるやろう。その一方でそれを流行と断定したがる奴が出てくる。そういう奴は大概が老けてる。だから、妙に説得力がある。そしたらその方法を使うことが邪道と見なされる。そしたら、今度は表現上それが必要な場合であっても、その方法を使わない選択をするようになる。もしかしたら、その方法を避けることで新しい表現が生まれる可能性はあるかもしらんけど、新しい発想というのは刺戟的な快感をもたらしてくれるけど、所詮は途上やねん。せやから面白いねんけど、成熟させずに捨てるなんてごっつもったいないで。新しく生まれる発想の快感だけ求めるのって、それは伸び始めた枝をポキンと折る行為に等しいねん。…(後略)」

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コメント

 おお! 身近では、私が熱心に薦めても読んでくれる人がなかなかいませんでした。でも、何かを創作する人にとっては、響く言葉が詰まっているんですよねー。

ごぶさたしております。

「火花」は図書館への予約がちょっと遅れたんです。
なんと300何十人か待ちで、やっとまわってきました。
しかも、次の予約が入っているそうです。

それで、そうなんです。創作することについての姿勢とか考え方とか
そっちに食いついてしまって、ストーリーは二の次になってしまいました。
一気に読みました。さいごの展開は意外でよかったですし。(何さま)
ただあの、いかにも「純文学」な感じの文体はどうなんでしょう?
もうちょっとナチュラルな方がいい気がしたんですが。
「笑い」って、むずかしいテーマですもんね。
本の中にもありましたが差別と密接で、
それは川柳でも、常々疑問を感じています。
又吉さんには書き続けてほしいです。

> ただあの、いかにも「純文学」な感じの文体はどうなんでしょう?

 そうそう、とりわけ最初の数十ページ! 思いっきり肩に力が入っていて、笑ってしまいました。母娘で小説好きのお母さんの方は、この山を越えられなかったそうです。娘さんは、私があらかじめ「我慢してね」アドバイスしていたので、「これかぁ〜と思いましたよ」と、余裕で笑っていました。
 でも、私、やっぱり、又吉の世界は好きです(笑)。

私も今朝、娘に「文体はちょっと違和感あるかもしれんけど、おもしろいよ」とすすめました。
受賞後の、浮かれすぎない感じもいいですね。
俳句もされてるんですが、川柳はダメかなあ?
俳句の方が好きそうだなあ…。

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