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2016年5月25日 (水)

火付けしてまわる鳩の目擦りつけて

川柳フリマで、歌人の山田消児さんと川柳人小池正博さんによる、「短歌の虚構、川柳の虚構」というテーマで対談があった。内容については、川柳スープレックスに江口ちかるさんのレポートがアップされていたので、まずそちらをお読みください。

虚構を調べると、以下のように書かれている。
1、事実でないことを、事実らしくつくりあげること。つくりごと。2、文芸作品などで、作者の想像力によって、人物・出来事・場面などを現実であるかのように組み立てること。フィクション。仮構。
虚を否定されたら、私は川柳が書けない。タイトル句にしても、私は放火もしないし、ましてや鳩の目で火がつくはずがない。一句全体がイメージでしかない。まあ、この句のような一読作りごとと分かる句は、虚構とは言わないのだろうけど…。
日常生活での現実の私って、私のほんの一部じゃないのかな?果たしてそれが本当の私かと問われたらそれも怪しい。もしかしたら、虚の方が本当かもしれないし…(放火魔か)。それを知りたくて川柳を書いているところもあると思う。

ただ、人の死に関しての、安易な虚については不快感を覚える。私は、基本的に句の中の、亡父、亡母、亡夫、亡子などの、「亡」はいらなくて、なくても表現できると思っている。「亡」は説明だ。ましてや、亡くなったことにした方が、情に働きかけると思って付けられたとしたら、その虚は受け入れがたい。こころの中の事実となるくらいの、動機なり模擬的体験なりをもっての創作であればありだと思う。

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