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2016年6月12日 (日)

鼻のない象のながいながい夢

昨日は、「詩歌(うた)の装幀」という、装幀家の倉本修氏のトークショーへ。

眺めるだけでうっとりするような美しい本が、会場いっぱいに並んでいた。
詩歌の中では歌集を多く手がけられているようで、ゲストの歌人永田和宏氏はじめ、会場は歌人率が高かった。
永田氏の、「詩集、歌集、句集は、装幀が力を持つ文学」というコメントは、倉本氏へのはなむけでもあると思うけれど、一冊の歌集は装幀も含めてひとつの世界観を表現するものということだろう。川柳句集では、そうした意識は薄いように感じる。作品そのもので充分…てことかな?恥ずかしながら句集を出したことがなくて、リサーチ不足。
カンディンスキーに影響を受けたという倉本氏の、抽象の話が興味深かった。赤い林檎から林檎を除くと赤だけが残る。林檎を感じられるように、林檎を抜く。絵を見る人には、林檎だと分からなくてもいい。そこのズレがおもしろい。抽象のみで成立している絵はなくて、具象の壊れかけこそが一番美しい…などなど。
ことばで、そこを表現したいんだけどな………。

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コメント

桐子さん
いい体験でしたね。
プロの装幀は、やはり中味がよく理解されての結果であること。
また、それに応えられるスタッフをどれだけ抱えているか
でもあると思います。
これは好みの問題かもしれませんが、
今は、時代を読んでの売れるデザインであるかどうかも
検討されるのでしょうね。
本屋さんをぶらぶらするとなんとなく流行を感じます。

抽象、半具象、具象、写実、超現実など、
言葉の世界でこれらをどう意識して表現していくのかは
むずかしいですね。
特に興味は抽象と具象の間にありますが、
ここに作者を含めて、どう人間が絡んでいくのか、
川柳のおもしろさ言えば簡単ですが、
創作の難儀をどう乗り越えて結果を出すかになると、
もう若い人にお世話になるしかないかもしれませんね(笑)

 桐子さんが、倉本ワールドをどう捉え、どう味わわれたか、ぜひともうかがいたいです。
 ちなみにスポンサーは、マイダーリン(笑)。
 八上桐子ファンの夫から、「おいしい日本酒をご一緒しましょう」との伝言を、頼まれておりまする〜。

政二さん、
最近は、カジュアルな句集、歌集が増えてきましたね。
まだまだあたらしいデザインが出てきそうで、それはそれでたのしみです。

装幀の際に中身は必ず読むのか?という質問には、
ケースバイケースだけれど、タイトルとあとがきは重要とおっしゃっていました。

抽象の句には、具象から壊すなり、消すなりのプロセスこそが大事で、
プロセスが読み手に何かを感じさせると、私は信じています。
今日は、そんなことを考えながら書いているのですが、
まあ、難儀なことです。ちっとも完成しません(笑)

はね奴さま
それは、それは、記憶の鮮明なうちに行かねばなりませぬ!!
倉本ワールド…、たとえるなら、
淡麗でありながら、洗練されたふくらみのある純米大吟醸酒でありました。

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