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2017年1月

2017年1月31日 (火)

とおいかなしみ

1月が終わるんですね。

かなしい報せが入って、しっかり受け止めたいのだけど、まだかなしみにたどり着けないのです…。実際はそれほどぼろぼろではないのですよ。ゴミを出して、おとなりの人にあいさつをして、銀行で振込もして、食べて、眠って…。
でも、あれでよかったのか、間違いはなかったか、もしかしてあのことば、もっと…、どうして…、それでも…、ごめんなさい…。おそろしく思いが湧いてきます。
これもまた、かなしみなのでしょうか?今は、これを受け止めていればいいのでしょうか?

さっき竹原ピストルは、「…ふれられるものしか 救われたことがなかった…」と歌ってました。ことばじゃなくて、もっとずっと手を握っていればよかったのでしょうか…。私よりずっとあたたかかったあの手を…。

2017年1月28日 (土)

みえないものからみえるもの

芦屋市立美術博物館 「この世界の在り方ー思考/芸術」、現代美術としてもすばらしく、ほんとうに「思考」が促される展示だった。

何もないところにあるものを、この世界に存在させる。みえないものを、見せる。無意識を、意識化させる。現実とイメージの境界を探る。この世界の捉え方を再考する手がかりがいっぱい。

川柳では「共感しました」が多いけれど、そんな簡単でいいのか?私をとっても、分かってもらえないことにこそ、私はあるのじゃないかと思わせられた。

おまけ。敷地内のレストランはリーズナブルで、となりには谷崎潤一郎記念館もあります。

2017年1月27日 (金)

笑い

「日本の笑いはいいですね」とおっしゃったのは、亡きパートナーがフランス在住のイギリス人だったという女性。彼女によると、イギリスの笑いは刺さる、フランスの笑いは不快にさせる。こと笑いに関して、自分は日本人でよかった〜と思われるそうだ。そして、川柳の「笑い」はとても大事だと思うと言われた。

「笑い」…私の川柳にほとんどない。「笑い」は難しい。材=ネタ、見つけがよければよいほど、そこで満足してしまって、表現の工夫がおろそかになりがちな気がする。

今日は、ペットショップに脱皮前のトカゲ(皮が白っぽく浮いている)がいて、しばらく見ていたけど脱げなかった。手の皮を口で咥えてゴム手袋みたいに外すとこ見たかった〜!最近、よくペットショップに吸い込まれてしまう。ペットロス…なのかなあ。

2017年1月26日 (木)

月の子忌 時実新子を読む

今年も神戸文学館で、新子を読む会を開きます。今年は、新子が川柳をはじめて11〜15年目、「川柳ジャーナル」などで革新系の川柳人と交流を始めた頃の作品を取り上げます。

日時  2017年3月4日(土) 午後2時〜3時半
会場・申し込み   神戸文学館(tel:078−882−2028)

「いま、こころに響く新子句」も募集中。お手元の句集など、ぜひ読み返してみてください。ぐっときた1句と、コメント(50字以内)をお送りください。冊子と新子フリーペーパーを進呈いたします。senryuso@yahoo.co.jpへ。2月15日〆切です。

2017年1月21日 (土)

印象吟

今月のつづきの会は、印象吟にチャレンジ。それぞれが持ち寄ったお題、クリームパンや、ギリシャの女性像、折り紙の鳥、芽キャベツ、刺繍の絵、関ジャニのキラキラテープ、新聞を、それぞれ5分くらいで詠んだ。

知っているものを、あたらしく見る。見えているものから、見えないものを見る。それができたら、もっとたのしめるはずなんだけど。あとは、川柳になってるかどかとか、恐れないことかな。自分の突破口は、こういう意外なところにあるかもしれないし。いやー、苦手中の苦手。しんどかった。

  一、一七 ビニール越しの平穏

  もっと痛いはず羽になる角度

  春になる鶏冠の赤がしたたって

  おばさんが必ず覗く羽の裏

  アイロンをかけられている長い舌

  三日ほど濡れ新聞に包まれる

  ことばを覚えた鳥を夜に閉じ込める

 

2017年1月20日 (金)

いきなり川柳

2月11日にNHK文化センター神戸教室で、川柳ワークショプを開きます。ちょっと新しいこと考えています!熊本のいきなり団子みたいに、むっちりほくほくの川柳の時間をおたのしみください。

2017年1月17日 (火)

1.17

朝早くに目が覚めた。今日は1月17日だと思って、布団のなかで、一人、また一人とゆっくり顔を思い浮かべるのだけど、Mさんだけピンぼけの写真みたいに目鼻がはっきりしない。それで、眼鏡をかけてみたけど、やっぱりダメだった。Mさんの写真も持っていないし、もう一生思い出せないのだろうか?…あれからはじめて、あの日が遠のいた気がした。

2017年1月16日 (月)

句集「n≠0 PROTOTYPE」 兵頭全郎

  こめかみで続く絵本をめくる音

  流れとはひっきりなしの美少年

  起きてしばらく太平洋にひとり

  月光は毬栗のどこまで探る

  戯画丸く盗む大吟醸の瓶

  ふくらむと水の記憶に替わられる

  窓割りを手伝う鈴の音のなかで

  大屋根の陰も乾いて側転日和

  埴輪から聞こえる声の消える先

  卒業をほぼフルーチェの固さまで

「ことば派」を代表する、全郎さんの句集。全体的に、1句にふくまれるモノなりイメージが盛りだくさんな印象。詰め込んだのではなく、差し引いてもまだそれだけ残ったという感じがする。きっと感覚で読めばいいのねと思いながらも、どうしても何となく分かる…という句を選ぶに留まった。ステレオグラムみたいに、ある日すっと摑める日が来るまで読み返したい。あ、隠れ中森明菜ちゃん(P80,81)は、おっ、おおーっ!てなりました。他にも私の知らないアイドルが隠れているのかな?

2017年1月15日 (日)

歩道が白く凍っていた。こわごわ歩いていたおじいさんが、つるんと転んだ。朝方の夢が怖かったので、次は私じゃないかとビクビク足を出す。

バスでとなりの町へ。小さい時から知っている、Aちゃんに会いに行く。ものわかりのいい大人にだけはならないようにしようと自分に言い聞かす。私の娘だったら…私の娘だったら…、「私も反対すると思うよ」、正直に話す。
Aちゃんと別れて、長い商店街をぼんやり歩く。ぽかんとひらいた出口は吹雪いてて、どこか遠い町に出たようなふしぎ。立ち止まって見ていたら、頭の上からbacknumberの「ヒロイン」が流れてくる。

 君の街に白い雪が降ったとき
 君は誰に会いたくなるんだろう
 雪がきれいだねって誰に言いたくなるんだろう

私は今、あなたのお母さんに会いたい。私たちの心配なんて雪みたいなものかもね…、それでほら、雪晴れってなんかさみしいねって、熱燗飲みたい。

2017年1月13日 (金)

あれこれ

神戸新聞、時実新子没後十年「新子を読む 新子へ詠む」について、読み手として登場した歌人で柳人の柳本々々さんが、「あとがき全集」「俳句新空間」で、俳人の久留島元さんが「伊丹俳句ラボ」で、それぞれ記事について書かれています。読みが新鮮でおもしろい!

川柳「凛」の作品については、小池正博さんに「川柳時評」で取り上げていただきました。御前田あなたさんの「いつだって最終回」では、ねじまき#2の1句を読んでいただきました。自分自身のことと同様に、作品も自分では分かっていないことがありますね…。とてもありがたく読みました。

2017年1月12日 (木)

川柳句集「前へ」 米山明日歌

  螢きて私の闇を運びだす

  地図でいう四国あたりが私です

  わたくしの足跡だけにする岸辺

  言い訳の代わりの雨を持たされる

  その先が見えてたこともあった橋

  毛糸玉買いに行くのも一つの明日

  待ちましょう春の痛さにかわるまで

  経歴の一つに草であったこと

  竹串がスッと通れば春ですね

  国境の缶は立ってる錆びている

「川柳マガジン文学賞」、大賞の副賞として出版された句集。あとがきにある通り、ご自身を見つめて書かれた句が多い。私を素材にしていながら押しつけや嫌みを感じさせないのは、メタ認知能力の高さだろう。また、伝統的な型にのっとる品の良さもにじむ。たとえば、武道家に通じるような。あとがきには、「次のジャンプに備え、あらたな筋肉をつけなければなりません」とあった。ぜひ次は、総合格闘技へもチャレンジしてほしい。ねじまき句会場外乱闘も期待している。

2017年1月11日 (水)

新年詠

神戸新聞文芸 新年詠

   うつぶせのひざの裏にも春の海

   ささやくかに春を鳴らして母の骨

2017年1月10日 (火)

散歩会@西宮えびす神社 

「十日えびす」の吟行は二度目。ものすごい人出で、鳥居から神殿まで立ち並ぶ屋台の前をゆるゆる進むしかない。前回とは違うものを見ようと思ったけれど、人混みに酔ってしまった。

26年もつづいた散歩会は、来月がいよいよ最後。3月30日の墨作二郎追悼句会をもって、点鐘の会も閉じられる。
散歩会は、本多洋子さんと、笠島恵美子さんがたった二人で何から何までお世話してくださった。吟行場所、昼食、句会場の下見から予約。句箋の準備から 、句報、写真。参加者は、誰でも、何人でも受け入れ、出句無制限という寛容さ。台風の日も、雪の日も、中止はなかった。
大きさというのは、なくなるときに分かるものだけれど、こんなに…と戸惑っている。

   狛犬の口中濡らす宵戎

   人間の臭いを消してゆく屋台

   境内の骨を溶かしているスープ

   生ぐさく黒く願いは横たわる

   神さまの松に三つの拡声器

2017年1月 8日 (日)

はなびらを噛んでまぶたのすきとおる

今年は、時実新子没後十年ということで、神戸新聞で「新子を読む 新子へ詠む」が連載されました。新子ゆかりの柳人、そして若手の歌人、俳人が、いま新子の句をどう読むか…言葉、毒気、かたち、生き方…それぞれの切り口で語られた、新子句の魅力。読み手や、時代が変わることで再発見があることがよくわかる企画でした。

   花びらを噛んでとてつもなく遠い  新子

私がとりあげた新子の1句。身体感覚を通して差し出された、圧倒的な孤独。近ごろ身近な老人たちを見ていて思うのは、身体は正直だということ。言葉はいくらでも嘘をつく。肉体の感受したものの方が、言葉よりも深いところで共感できるのではないか…。どうしてこの1句だったのか、問われたときに思い当ったことでした。そして、私から新子への1句は、オマージュを込めて本句どり。

2017年1月 6日 (金)

はじまり

あたたかさも含め、およそお正月らしくないお正月が過ぎ、ようやく日常が戻った。昨日、母を送りがてら福山で途中下車。友人を見舞って、最終の高速バスで帰って来た。伊丹空港に着いてバスを待つ20分間、ずっと足踏みする寒さ。白い息を吐くごとにつめたさが流れ込み、胸にふたつのみずうみが生まれる。あたらしい年がやっとはじまる。

2017年1月 1日 (日)

その岬の、春の

青がまた深まる画素の粗い海

やくそくは水でゆわえる水の束

ぬれてかわいてぬれてかわいて岬まで

海沿いにゆくとくぐもる貝の耳

舟底のカーブなつかしい口もと

沖合にブイ たぶんと言ったきり

瞑ったら入り江をあふれでるこころ

てのひらにあまりにあっけなく消えて

一体を棄てるかすかな水の音

海鳥の声色で幕降りてくる

とおい風匂うレコード夜の海

うっとりとひとりの泡を聴いている

もう夜を寝かしつけたのかしら水

潮騒にくるまれたままのくるぶし

くるうほど凪いで一枚のガラス

ひんやりとはじまるものを春と呼ぶ

     川柳「凛」2017―冬 招待作品

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