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2017年3月

2017年3月26日 (日)

ストローなからだながれるるうりーど

ねじまき句会、雑詠。

この句の評価のポイントは、Lou Reedの表記が成功しているかどうか(夏井いつき先生風に)。ちがうか。作者としては、そこ。もちろん縦書きで。

2017年3月24日 (金)

三月の水にもたれている金魚

うちの金魚ときたら、どんどんぐうたらになってくる。鉢にだら〜んと身を預けたり、底に寝そべる姿は、まるでソファの私。もしかして、見てる?

4月の新聞川柳、題「麦」の選と選評は送付済み。そして現在募集中の題は「疑う」。題を決めたのは先月末だったのだけど、まさかこんな状況になるとは…。時事句が増えるかな?まあそれはそれで、時事をどう詠むか取り上げるいい機会になるかも。5月の掲載時にはどう展開しているのだろう…。新聞や雑誌の見出しにならないように、なるべく普遍的なところをつまみ出してほしいな。

2017年3月22日 (水)

夕べの空気

帰宅した青が、「『カルテット』の最終回〜〜!」とあわててTVをつけたので途中から観た。はじめて観たので、まったく意味は分からなかったが、あとで長々とストーリーを解説してくれた。
青によると、ミステリーや、恋愛要素も取り入れた含みの多いストーリーに、キャストの良さ、何より、ロケーション、ファッション、料理など、全体の空気感がよかったのだとか。
「満島ひかりも高橋一生のファッションもぜんぜんいいと思わなかったけど…」と言ったら、「それは、桐ちゃんがトシとってるからや」とバッサリ!!
「カルテット」のよさを語るのに、青が何度も口にしたのが「空気感」。「なんて言ったらいいかなあ…空気感なんよ」。

「空気感」というのは、無意識とつながっている気がする。見聞きしたものに心地よさを感じるとき、あるいは違和感や嫌悪を感じるとき。空気感が働いているとは言えないか。
川柳には、たいてい意識化した空気感を書いてしまう。空気感を空気感のまま表現すること、これはむずかしい。選評で空気感をどう書くかはさらに悩ましい。

2017年3月20日 (月)

言うなれば武井武雄の鬼の頃

ねじまき句会に行けなかった。

題詠は「頃」で、タイトルは出さなかった句。説明だし、武井武雄頼み。でも、なつかしいなあ〜、武井武雄。
ただいま、欠席選句中。参加した方々のコメントが聴きたかった句がいっぱい。

2017年3月16日 (木)

川柳眼て?

南京のマッサージ店で働く盲人たちの人間模様を描いた、「ブラインド・マッサージ」(畢飛宇著 白水社)を読んでいる。

人間ドラマとしても深い作品だけれど、「まなざす」ことが決して視覚だけではないことに気づかされる。見えないからこそ見えるもの。これってやっぱり盲点じゃないかな。

2017年3月15日 (水)

いきなり川柳

丸山進さんだったと思う。川柳はさいしょに誰と出会うかが大きい、とおっしゃっていた。川柳と言っても幅が広い。川柳をはじめようと言う時、たいていの人は近くの教室とかに入って、それを川柳として書きつづける。いやほんとに、誰とどこと出会うかは大きいと思う。

なので、教室では自分の書きたいものを見つけていただけるように、いろいろな川柳や時には俳句も紹介している。実際、川柳はわかりやすくあるべきと去って行かれた方も、俳句に転向された方もあった。
川柳なんて教えたら、個性を潰してしまうと言われた方もあった。それも、一理あると思う。でも、私自身は教わりたがりで、ちょっとしたコツやポイントを習うのが大好きな生徒体質。そんな方もおられるのでは…と、せっせと資料を作っている。

4月8日からはじまる「いきなり川柳」は、句材の把握、表現、読み、推敲…と、作句のプロセス一つひとつを丁寧にすすめる教室。実験的な教室なので、どうなるかドキドキ…。体験会では、「川柳はたのしいですからぜひつづけてください。ここでなくてもいいですから…」と、押しの弱さだけは一流。
今の教室の体験会のときは、終了後にアンケートに記入いただくときに「入会するまで部屋から出さないとか、そんなことはありませんので安心してくださいね」と言ったら、それがおもしろいと入会してくださった方があった。なんだかんだ言って、縁と相性かも。

2017年3月13日 (月)

墨 作二郎を偲ぶ会

昨年、十二月に亡くなられた墨作二郎氏の追悼句会が、下記の通り開かれます。

日時  3月30日(木)

場所 堺市総合福祉会館 大研修室(tel.072-222-7500)
        南海高野線 堺東駅下車

開場  午前11時・出句〆切12時 2句出し (昼食は近辺でお済ませください)

大会開始 午後1時

お話 墨作二郎を偲ぶ  森中恵美子
    墨作二郎の軌跡  小池正博
    遺句集「韋駄天」について  本多洋子

句会  兼題 「遊」  京都市 筒井祥文
     兼題 「行」  京都市 桑原伸吉
     兼題 「点」  高槻市 笠島恵美子
     兼題 「鐘」  守山市  德永政二

当日、会場後方に、墨作二郎氏の句集や、色紙、蔵書の一部が並べておりますので、ご自由にお持ち帰りください。

2017年3月12日 (日)

夜のこころ

先日、葉ね文庫でもとめた詩集、尾形亀之助「美しい街」を何度も読み返している。
亀之助さんは、夜のこころの持ち主。夜の眼でものごとを見つめる。しずかに、あわてず、ただ見つめる。見えるまで見つめる。

  夜がさみしい

眠れないので夜が更ける

私は電燈をつけたまま仰向けになって寝床に入っている

電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のように細長くなって
その端に電車がゆわえついている

2017年3月 8日 (水)

ひとりさんぽかい@赤穂

散歩会がなくなったので、一人でやってみることに。どうせなら、新聞柳壇に投句くださっている方々が、どんな景色のなかで詠まれているのか見に出かけようと思い立つ。
まずは、西の端っこ赤穂から。最初なので、失敗が多い。駅で自転車を借りたので、あっちもこっちもと欲張って駆け足になってしまった。もっと的を絞って、じっくり観て書いた方がよかったように思う。そして、むずかしいのが選句。まあ、いろいろ試してみよう。
川柳と蕎麦とパンという、よくばりな裏コンセプトもあり。お昼は牡蠣蕎麦、さすがぷりんぷりんの大きな牡蠣が5つものっていた。「あこうパン」というパン屋さんは、ものすごく種類が多くて、「納豆パン」や「鱧の梅肉パン」などかなり攻めている 。「歯がいらないくらいやわらかいパン」など、ネーミングも攻めていた。

  いつからか井戸は男の声になり

  城跡のうつろへすっぽりと入る

  死のすこし手前にあった停留所

  人形のたましひ抜けて梅ひらく

  お紅茶という人の喉へお紅茶

2017年3月 5日 (日)

「時実新子を読む」

神戸文学館、「時実新子を読む」にお運びいただきました皆さま、「いま、こころに響く新子句」をお寄せいただいた皆さま、ありがとうございました。

今回の「新子を読む」は、「川柳ジャーナル」時代。30代後半の時実新子は、伝統と革新の狭間で激しく揺れながら、新子川柳と言われる詩性をふくんだ私川柳を確立する。
古川柳、伝統川柳からの脱却をテーマに掲げた川柳ジャーナル誌上には、思い切った抽象表現の実験的な句を発表していたが、師川上三太郎の死を挟んで、作品は抽象から具象へと変化している。ただし、伝統川柳へ回帰するのではなく、革新川柳を通して開発した新しい表現方法をもって独自の現代川柳を摑み取っていた。
自分の納得のいく川柳を書くというのは、容易なことではない。新子は、ジャーナル誌上に発表した句を、全句集にはほとんど残していない。

余談。行きの阪急電車で吊革につかまっていたら、前に座っていたやさしげなご婦人が「あら、気づかなくってごめんなさい、どうぞ、どうぞ座って…」と立ち上がる。その視線は私の腹部に…。妊婦と間違えられた!!!「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」と丁重にお断りする。「妊婦じゃないです」って言えませんよ〜。次の駅で、ご婦人のとなりが空いたので座る。近くで見たらかなりトシいってるなあ…と気づかれただろうか?
青に言ったら、お茶を吹く爆笑。それは、自信がなければ言えないって。会場でお目にかかった方々からは、40代にみえたのよ〜、出産できる年齢に見えたのだからよろこんでいいのよ〜と、ポジティブな励ましを受けた(泣)

2017年3月 3日 (金)

ばあちゃんの家出発泡スチロール

あれは、40代の中頃だっただろうか。ある日、街中のウインドウに映った自分が一瞬わからなかった。現実の私と、イメージの私の乖離に気づいた最初だったと思う。
そこから、その差はどんどんひらいてゆく。見た目だけでなく、あらゆる機能、能力も。

友人と親の老いについて話す。
80代の親の自己認識はせいぜい70代ってことで一致する。かかりつけの医師にデイサービスを勧められて「失礼や」と怒る。補聴器をつけるように言ったら、「そんな年寄りみたいなもん」と拒絶。立派な年寄りだし、会話が噛み合わないのに…。
私たちは、素直なばあさんになろうと誓う。デイサービスにも行こう。左手が必ず負けるようにジャンケンとかも、気はすすまないけどやってみよう。あ、でも「か」のつく言葉をあげましょうとかだったら、桐ちゃんめっちゃ得意そうや(笑)補聴器も、いちばん高いの買うてって言おう。うんうん、肝に銘じておこう。

そして、母はけろっと帰ってきた。家出しても、もう遠くへ行く元気がなくてつまらないって。ほらほらだからデイサービスと水を向けると、あそこは行くところのない人の行くところだって。

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