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2017年5月18日 (木)

父のいない父の畑に父の豆

京都番傘句会 兼題「お父さん」。

12日に記事について、山田ゆみ葉さんが取り上げてくださいました。→おしゃべりな風
「伝統川柳」と書くと、何をもって伝統川柳と言うのかと突っ込まれそうな気がして、そこは「私の思う伝統川柳」なんて、ちょっと保険かけといたのですが…かかってなかった。て、て、て、定義…。
えと、まず、私が思う伝統川柳は、日々の暮しや風俗を客観的に捉え、人情の機微といったものを描き出し、三要素「穿ち」「笑い」「軽み」を含み、共感性、大衆性を大事にしているイメージです。伝統というと語感的にはカビ臭さが漂いますが、現代、今を書きとめるものと思っています。人の暮らしの基本や感情、もっと言うと生きることの本質的なものはそう変らないので、そこが伝統川柳の難しさではないかと感じています。そこで、新しいことを、新しく書くのは、私の日ごろ書き方よりずっと難しいのです。
水府さんが「本格川柳」を提唱された経緯につきましては、ご教示いただきありがとうございます。伝統川柳を進化させるべく名付けられたのですね。
水府さんが「本格川柳」と名付けられたことは存じていましたが、正直、違和感を感じていました。「本格中華」「本格消臭」「本格舞妓体験」…ほんとうの本格は本格と名乗る必要がないので、なんとなくうさん臭い気がして(水府さん、すみません)、「伝統川柳」の方がしっくりくるので使いました。批判的な意図など毛頭ございません。ただの勉強不足でお恥ずかしい限りです。

いや〜、ありがとうございました。
前にも書いたかもしれませんが、亡くなられた渡辺隆夫さんはきちんと突っ込まれる人でした。日ごろ、何を発信してもあまり反応のない川柳界で、隆夫さんの言葉には丁寧な反応があって、それについてみんなが考えるきっかけになりました。隆夫さんの大きさと思います。ほんとに素敵な方でした。
えと、なので、答えになっていなかったら、またどうぞ突っ込んでやってください。

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コメント

いらんことをブログにUPしたばかりに、お気を遣わせてしまいました。京番の方々は、たぶんご自分のことを「伝統川柳」と称されていないのではないか?と推察したので、余計なことを書いてしまいました。
「伝統」にしろ「本格」にしろ、人それぞれの考え方の幅や範囲が広い言葉で、使い方が難しいと思っています。
自分のことではなく、自分の外にある組織に使う時には、“「私の思う」というちょっとした保険”だけでは足りないのでは?と言いたかったのです。私も言葉足らずですみませぬ。

とんでもない。おっしゃる通りです。
読むだけというのもどうなのかしら…と書いてしまって、
またまたお気遣いいただいてしまいました。

今回、いちばんガッツ〜ンとやられたのは、
「これまで私は『川柳』を書いてきただけだから」、でした。
やっぱりそこですね。大事なのは。
ほんとうに、ありがとうございました。

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