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2017年8月

2017年8月14日 (月)

夜明駅

友人の初盆。お線香を手向けに行ってきた。

彼女が心をのこしたであろう、お母さん、お嬢さんの様子にほっとして、やっと気持ちに一区切りついた。
帰りの新幹線で、電光掲示板に「夜明駅」というのが流れた。どこ?と思ったけれど、あえて調べなかった。私には、今日の新大阪が夜明駅。

2017年8月11日 (金)

しっぱい

7日から青が旅行に出たので、その間に本棚を整理しようと思い立つ。数年前に、私の部屋と青の部屋を交換したときに、本棚を動かすのが面倒でそのままなのだ。

私の部屋の青の漫画本をいくらか処分して、そこに2段分ほど移したら、部屋の隅に積み上げたままの本が収まる、という計算だった。入らなーーーい!縦が足りないやんかーー。頭悪すぎーー。抜いた本が、崩壊しそうな塔のように並び、その前に立ち尽くす。
それをそのままに、8日、9日、10日と、あそび歩いてしまった。正確には、飲み歩いた。そして、すっかり胃腸を弱らせ、口唇ヘルペス発症。気づけば、あれやこれやの締切が迫っているし、投句はがきも届くし、青の帰宅日だし。まったくこんなことをしている場合じゃない。本の塔は私のように立っている。さて、どこから手をつけるか……、まずは激辛カレーでも食べてしゃきっとしよう。

2017年8月 7日 (月)

雨、雨、雨

今朝、金魚が死んでいた。

 二粒の夜と生まれてきた金魚   桐子

二粒の夜だけが、生きているように死んでいた。ベランダのイタリアンパセリの鉢のなかに埋めた。

歯医者の帰り、アスファルトを弱った蝉が歩いていた。大雨に打たれていた。すぐそばのマンションの植え込みの木に止まらせると、ちいさく咽ぶように鳴いた。

夜の予定は、台風で中止に。長い雨雲みたいにねむい。

2017年8月 6日 (日)

花火のあとの空がゆるんでいる

「みなとこうべ海上花火大会」へ。

青が急に浴衣を着ようと言い出し、出してみたら腰紐がない。あー、この前の結婚式のあと、実家の和簞笥に全部なおしちゃったんだ。こんなときネットは便利。ググったら、ストッキングで代用可とあり。なるほど!古いストッキングを左右の足に切り分けて2本に。薄いし、伸縮性はあるし、ストッキングめっちゃええや〜んと着付け終了。ところが今度は浴衣用バッグがない。またしてもググって、風呂敷バッグ発見。風呂敷をくくって、バッグ状にして出発。

電車のなかでスマホを取り出したら、小さなカメムシみたいなのが縁を歩いている。扇子で払おうとしたら、今度は扇子にとまって振っても振っても落ちない。と、となりに立っていた若い会社員風の男性がすっと扇子を摑むや、手で虫を取ってくれた。無言のお助けヒーロー、スーツ仮面さまありがとう。

海の花火ははじめて。汽笛を合図に、ゆっくりゆっくり照明が落ちるように暮れてゆく海辺。

  花火の群れの幾人が死を考える  新子

一昨年の夏、「Sさんの舟で海上から花火を見ませんか?」、Rちゃんが誘ってくれたけれど行かなかった。そのRちゃんがもういなくて、私は花火を見上げている。
大きな花が、咲いて、消える。重なって咲いて、消える。音が、胸にひびく。胸より下に、ひびく。咲いて、消える。

古いBARで、ジンバックを一杯だけ飲んで帰った。店の壁には、異国の街の大きなモノクロ写真が飾られている。版画のようにも見えるのは、光と影を反転させて現像されたのだとか。光と影の反転……。「美しいものは、じっと目を凝らすと怖ろしい」…朝、読んだ石部明さんのことばを思い出した。

2017年8月 4日 (金)

如何に

『現代美術はアイデアを競っているけれど、まだまだ絵画がやれてないことは無限にある。アイデアや主題や様式ではないものだ。それは絵画を通して「如何に生きるか?」だと思う』横尾忠則
昨日、川柳の持ち味について聞いた話と通じる気がする。

今朝、自転車に乗ったおじさんとのすれ違いざま、おじさんの声が妙にはっきり聞こえた。「それは、俺のイメージが……」。思わず振り返った。カールおじさんのような麦わら帽子に、白いクレープ地のシャツ。首筋が焦げている。夏の俺、なのか。

2017年8月 2日 (水)

片陰のすっとからだに戻る影

ただごと句は、ナチュラルメイクである。

●ナチュラルメイクのポイント
1、下地、ファンデーションは、同じメーカーのものを使用。少量を心がけ、ムラのないよう丁寧に細かいところまでなじませる。
→ モノは最小限に。韻律、リズム、見た目など、一音、一音、一文字、一文字にまで気を配る。

2、アイメイク、口紅などは、髪色に合った色を選び、控えめを意識する。
→ ことばを厳選し、全体のバランスを考慮。ぜったいに盛らない。

ジム友は、化粧品やさんで「中谷美紀のようなナチュラルメイクにしたい」と言ったところ、自然な仕上がりにする方が手間がかかって難しいと言われ、そもそもハリだツヤだとパックやら美容液やらどっさり買わされたらしい(笑)

ただごと句には、高度なテクニックとデザインセンスが必要で、そもそもみずみずしい感受性からってことか……ううっ。

2017年8月 1日 (火)

虫武一俊歌集「羽虫群」批評会

 くだり坂ばっかりだったはずなのにのぼってきたみたいにくるしい

 丁寧に電話を終えて親指は蜜柑の尻に穴をひろげる

 三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息

 暗いところは肺を濯いでいくところ澄みきってひとをきよらに嫌う

 十割る三がもののはずみで割り切れてしまって 叫び声がきこえる

 繋ぐっていうよりつかみあいながらお祭りの灯を何度もくぐる

 しんりん、と木々をまとめてゆくような冷たさにいくたびも頬は

生き辛さをかかえる不器用な青年のモノローグのような歌が並ぶ。
私は、虫武さんのことをよく知らなかったが、いわゆる結社に所属する歌人ではなく、雑誌やネットの投稿歌人(?)として注目された方らしい。
パネリストの穂村弘さんは、「外のセンスを短歌に導入している逆輸入感がある」と評された。

歌集を読んだときに、Twitterのつぶやきに似た匂いを感じた。不特定多数の見えない相手に対して、だれかに届いたらいいな……と発信されることば。マイナス感情をストレートに吐き出さず、読み手に不快感や反発を与えないようほのめかすにとどめる感じ。あのどこかポエムな感じ。
虫武さんの歌からは、計算されたようなあざとさは感じられず、もともとご本人の持ち味だと思うし、修辞や構文などの技術もしっかり備えておられる。

結社に属さない歌人は、これからもっと増えるだろう。今回のような批評会やイベントを開催するネットワーク力も見逃せない。今後、どんな風に活動し、どう成長されるのか興味深い。

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