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2018年6月 6日 (水)

ルーツをたずねる

今年1月、伯母の葬儀に参列しなかった母が、やっぱりお線香を上げたい、もう一度兄にも会っておきたいと言い出し、母を連れて高知へ。

91歳の伯父(母の兄)が、妻を亡くして弱っていないか…と案じていたが、杖をつきながら、掃除、洗濯をこなし、花好きの伯母が丹精していた庭を見事に手入れしていた。
75歳まで大工をしていた伯父は、その職業柄か、身の回りをきちんと整理整頓し、運動機能の衰えを工夫して暮していた。たとえば、朝ベッドから起き上がる時、膝と腰が伸びないらしい。そこで、寝る前にベッド脇のタンスの上から2つ目の引出しをすこし開いておき、まずベッド脇に腰掛け、反動をつけてその引出しに掴まって起き上がるというのをやってみせてくれた。引出しの中には、洋品店の商品のように畳まれたシャツが3列にぴしっと並んでいた。「死ぬまでは、生きなしゃあないろ」、さらっと伯父は言う。

今回の旅の目的は、もう一つ。母の生まれ故郷の日高村を訪ねること。本人曰く、65年ぶり。小高い山の中腹の家で、小学校まで1時間半歩いたと何度も聞いた。数年前、鬱になったときは、あそこなら誰にも分からずに死ねる場所があると言っていた。そんな場所きっともうなくなってるよ…と話したものだった。
仁淀川を越えて日高村へ。山から水路伝いに下りて来たら、米屋があったからここだと言うところを上る。途中から車は通れなくなり、夫と青が先を見に行ってくれることに。1時間ほどして、靴をどろどろにして家などなかったと戻ってきた。途中で出会った村人に聞くと、一つ向こうの山だろうということだった。
その山も途中までしか車で入れず、母はもうだいたい分かったからいいと言うが、青はこんなチャンスは二度とないのだからあきらめちゃダメだと言う。その夜宿で、青が航空写真で現地を確認。山の上の方に家が見えると言う。
翌朝、村役場で車で登る道を聞いて、再チャレンジ。車1台がぎりぎりの山道。谷に落ちないか、ハラハラ…。母は何度も、もういい、戻ろうと言うが、Uターンもできない。10分ほど登っただろうか、崖に母の旧姓のお墓が出てきた。さらに登ると、カーブの先に光が射してきて、曲がり終えるといきなり家が出てきた。
Img_1294_2 「ワタルさんとこや」。車を止めると、転がるように飛び出した母が、小鳥のような足取りで坂を上ってゆく。「ここが宮さん…」「ここがワタルさんとこで、ようお風呂もらいに来た。ここにお風呂があって、柿の木があって…」と記憶の扉がひらいた様子。玄関脇の箱に「充実野菜」のペットボトルが山のように詰み上がり、ラクダ色の洗濯物が人間の皮のようにぶら下がり、空家ではなさそうだったが、お留守だった。すぐ下にもう一軒家があり、納屋で農作業をしている人影が見えた。
Img_1298_2 「すみませ〜ん」と母が声をかけると、振り向いたおばあさんが、いきなり「マサちゃん?」。「え?、ミッちゃん?!」。幼なじみとの65年ぶりの奇蹟の再会。涙ぐむ青。6軒あった集落は、今は2軒。母の生家はなくなっていた。

母は、祖母のお腹にいるときに父親が船の事故でなくなっている。祖母はとても育てられないと悲観して、何度も崖から飛び降りたものの、お腹はずんずん大きくなったと晩年笑っていた。母の子守りのために、小学校に一年遅れで入学した伯父。貧しくて、小学校にクラスで2人だけお弁当を持って行けず、校庭で遊んだという母。それぞれの苦労が、山の険しさ、学校、町の遠さとともに迫った。

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コメント

あ・・・すごい。
航空写真検索、やったね。

みんないい時間だったね。
読んでいるだけで嬉しくなってきました。

ありがとう。

伯父と母の写真を取り忘れて、それもさいごに撮りに戻りました。
伯父は昔は眼光鋭かったけど、もうお地蔵さんみたいな顔になっていました。

ほんと、忘れられない旅になりました。

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