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2018年11月

2018年11月30日 (金)

食べものの記憶

セルビア在住の詩人、山崎佳代子さんのお話を聴く。

山﨑さんの出された「パンと野いちご」は、戦下のセルビアの人々の食べものの記憶を聞き書きしたもの。戦争について、食べ物から書かれている。
ある人は、「食べ物は思い出で、料理とはよみがえりのこと」と、またある人は、「料理は正常な気持ちを生み出してくれる。異常なことが起こっていることに対する抵抗でもある」と語る。どれもレシピ付きで、再現できるそうだ。

2016年に半年ほど日本に帰って来たとき、日本語がヘンになったと感じられたそうだ。特に若い女性のアナウンサーが、鼻でしゃべっているようで、言葉が聞き取れない。会話の中に英語がものすごく入り込んでいて、チャージする、シェアするなど、どうしてわざわざ英語で言うのか…と問われた。

2018年11月26日 (月)

そのとき

日本で最初のホームホスピス「かあさんの家」を開設された、市原美穂さんのお話を聴いた。

最期を自宅で迎えたいという人は約半数だが、実際に自宅で最期を迎えるのは2015年は12%。75%が病院で死を迎えている。
「かあさんの家」は、一人のおじいさんの認知症からはじまった。認知症で施設に入所したおじいさんは、夜中に何度もナースコールを押すため、ゆるい眠剤を処方される。それでも押す。眠剤を増やされる。昼間も口をあけたまま半分眠ったような状態になる。終末期のあり方に疑問をもっていた市原さんらが、暮しの中で看取れるようにと、おじいさんの家をおじいさん付きで借り上げ、ホームホスピスをスタートした。
薬を抜き、元の生活リズムに戻してゆく。実際、映像で見たが、寝たきりだったおじいさんが立ち上がり、朝は自分で歯磨きをし、仏壇で般若心経をあげていた。
別のおばあさんも、やはり認知症と多発性脳梗塞で入院。おむつ替えする看護師を噛んだり叩くなどして、手に包帯を巻かれミトンをかぶせられ、ときにはベットに拘束される。誤嚥性肺炎を繰り返し、胃瘻もしていた。ホームホスピスで拘束を外すと、胃瘻の管を自分で引き抜いてしまう。ご家族とは、「口から食べられなくなったら、寿命だと思ってほしい」と話し合い、口から食べることに挑戦してゆく。寝たきりだったおばあさんが、食卓に座る。はじめてスプーンでゆるい液状のものを口に入れたとき、おばあさんの目から涙。一口ごとに、涙が流れた。
認知症になっても、決して何も分からない人ではなく、人として意思が尊重されていた。

ホームホスピスは看取られる本人だけでなく、家族のケアもすばらしい。
癌のターミナルケアを自ら希望して来られた男性は、息子さんの話になると泣いていた。男性の自分史を聞き書きしたものを冊子にまとめ、息子さんに送り何度かやりとりして和解する。先のおばあさんは危篤のとき、息子さんは海外の国際会議に出席していた。彼女なら、帰って来なくていいから、しっかり仕事をしなさいと言うだろうと、「おかあさんはがんばっているから、あなたも仕事をがんばって。母より(代筆)」とメール。
のこされた家族も、悔いをのこさずに死を肯定的に受け止められると感じた。

慢性期と言われる、治る見込みのない医療について考えさせられた。医療を施せばよくなるのではないかという期待が、かえってからだに負担を強いて弱らせてしまう。単に延命治療の否定ではなく、生きることを支える選択は、医療、介護のシステムも、家族の心情からも簡単ではない。

夫の父は癌をかかえながら、今のところつつがなく過している。父は婿養子で、今住んでいる家は父が建てた。家に対する思い入れが人一倍強いので、きっと自宅で最期を迎えたいだろうなあと思う。この先、どんな状況になるか分からないけれど、それは叶えてあげられたらいいなと思う。

2018年11月24日 (土)

ソウル市民

青年団「ソウル市民」、「ソウル市民1919」(作、演出 平田オリザ)を連続で観る。2本目は、同じ俳優さんがまったく別の役を演じていて、最初こんがらがってしまった。

「ソウル市民」は、日韓併合を翌年に控えた1909年ソウル(当時の漢城)で文具店を経営する篠崎家の一日を描く。「ソウル市民1919」は、その10年後の3月1日「三・一独立運動」の日の篠崎家。
ダイニングルームで交わされる家族、使用人、客人たちの会話から、人種や階級差別と偏見が流れでる。そこに悪意はなく、相手を思いやるような言葉にも差別意識が含まれている。

平田オリザさんは、差別そのものを突きつける描き方をしない。あくまでも、当時の一家庭の日常風景を描くことで、根深い無意識の差別意識を浮かび上がらせる。静かにこわい演劇だった。まさかここで?という唐突な終り方も、いかにも終っていない、終らない感じがした。

終演後、おじいさんが、「この芝居は一体なにが言いたいのですか?」と隣りのおばさんに訊いていた。「外で独立運動が起こっていることも知らないで、日本人の家の中では、映画やら相撲興行の話でわいわい言って、オルガン弾いたり、みんなで呑気に歌ってたってことじゃないですか」と説明されていた。

2018年11月20日 (火)

sense

きのうは、選句の一日。

川柳は題詠が多いせいか、何を書くか、発想の方に力が注がれている気がする。書き方のバリエーションが少なく感じた。

奇抜な帽子とか、プレスリーのフリンジ袖みたいな、1点もの勝負みたいな句はあるけど、もっと、ファストファッションをしゅっと着こなすとか、かちっとしたスーツを着崩すとか、さりげない小物(助詞とか)にこだわるとか、そっちの方が開拓の余地ありだと思った。

2018年11月15日 (木)

夢三夜

近ごろは、夢の中の方が人と込み入った話をしている。ここ最近の夢。

居酒屋ではブラマヨ吉田と自尊感情について長々と話し込み、「これで6杯めですよね」と確かめていたので、ハイボールを6杯飲んだ模様。互いの自尊感情の低さを肯定し合うという、傷の舐め合いみたいなお酒だった。翌朝、心なしか頭が痛くてジムを休む。お昼の番組に出ていた吉田を、夕べはおつかれ〜、だいじょうぶ?という気持ちで見る 。
自宅にたずねて来た中学のときのソフト部の監督(故人)からは、ピンチのときにベンチ(監督)ばかり見るのをやめなさいと注意される。私はピッチャーだったのだ。どうすればいいですか?と訊くと、「座禅でも組むか…」と言われたので、市内で座禅のできるお寺を探してみた。荒村寺という、名前からして座禅向きなお寺を発見。
そして、このパターンの夢は何度めかなのだが、何か忘れ物を自宅に取りに戻って、探しているうちに遅くなってしまい、居間でごろごろしている父(故人)に車で送ってほしいと頼む。父はほんとうに眠そうな、半分死んだような顔で、「今、ねむいから…」と起きようとしない。「Mちゃん(妹)なら、ぜったいにすぐ行くくせに、私だったらそうやって……」と涙声になっていく。はぁ……、いつまでこんな夢をみるのか。

どの夢も、自身の葛藤を、もう一人引っ張り出してきて自問自答しているようにも思う。せっかく夢なんだから、もっと景気のいい夢見ればいいのになぁ。

2018年11月11日 (日)

絵を読む

日曜美術館「フェルメール」を流しながら、明日の消防設備点検に備えてちょっと念入りに掃除していた。

フェルメールの絵について、作家の平野啓一郎氏は「15秒ほどの動画」と表現した。なるほど、首飾りのリボンを結ぶのも、ミルクを注ぎ終えるのもそんなものか。一方、俳優のイッセー尾形氏は、夕べ一睡もしなかったとか、裁判で嘘の証言をしてきたとか、絵の中の女性に一人語りさせていた。平野氏の鑑賞は俳句的、尾形氏は川柳的だなあと思った。

2018年11月 8日 (木)

鈴の音

おかじょうき川柳社のHPの掲示板で 、高田寄生木氏の訃に接した。

ちょうどひらいていた、昭和51年(1976年)「川柳展望」5号に、氏の特別作品「自転車の鈴」25句が掲載されていた。

   縄切れをひろうゆたかさにふれる

   エプロンに石がひそんでいる怖れ

   フルートが聞こえる日銭数えている指に

   香港にも行かず自転車の鈴鳴らす

   レール二本まだ聞こえない父の靴

   出稼ぎを狂わす週刊誌をまるめ

   火葬場が見える息子と駈けている

11月3日は、きれいな秋晴れの日でした。ご冥福をお祈りいたします。

2018年11月 5日 (月)

そばかすを浮かべる船の丸い窓

ねじまき句会、雑詠。

平野啓一郎著「空白を満たしなさい」は、船の中にいるような時間だった。「分人」について、ゆっくりゆれながら考えていた。
相手や場所によって、使い分ける顔。どれかがほんとうで、どれかが偽りなのではなく、すべてがほんとうで、いくつかの顔を統合して自分が出来上がっているというのは、まったく新しい発想ではない。自分のなかの嫌な分人を消したくなる自死があるということ。死にたいのではなく、消したいというのは分かる気がした。
夕べ遅くにも、自死の報せ。前日に電話で話した人も、分からなかったそうだ。自分の中のある分人を、どうにもゆるせない分人が現れたりするのだろうか。力つきた分人が、皆を巻き添えにするのだろうか。
わからない。わからないけれど、さみしい。海と空しか見えないところに、浮かんでいるみたいだ。

2018年11月 3日 (土)

あった

もう何年になるだろう。毎朝、アロエヨーグルトを食べている。4個で1パックのを、Kスーパーの水曜のヨーグルトの日に2パック買う。今朝、ふたの裏に、ポイントと書いてあるのが目に入った。ふたにはヨーグルトが付いていて、よく見えないので洗ってみた。16桁の数字とポイント3とあった。何のこっちゃとメーカーのHPを見たら、シリアル番号を入力して、ポイントが溜まるしくみになっていた。4個のうちの1個に書いてあるらしい。他は、なんちゃら菌がいっぱいとか書いてあるだけなので、ほとんどベリッとはいで捨てていた。2年と短く見積もっても500ポイントは溜まっていたはずだ。

ジムには、マッサージチェアがあった。リニューアルして、目に入るところに異動してきた。使ってみたらなかなか高性能で、下手なマッサージ師よりはずっとよい。1〜5番まで5台もあるので、イチロー、ジロー、サブロー、シロー、ゴローと呼んでとっかえひっかえしている。今日は、サブローが調整中だった。ジムもかれこれ、4〜5年通っていると思う。なんで知らなかったんだろ。

見えないモノを見ようとしていたのは、BUMP OP CHICKEN。見えているもが見えないのが、アラ還。

2018年11月 2日 (金)

都こんぶは雨の日の二本立て

つづきの会、雑詠。

難民問題を扱ったアキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」を観て、伊藤比呂美さんが自身の老いと近しい人たちの死について書いた「たそがれてゆく子さん」を読む。どちらも、重いテーマにユーモアが織りまぜられていて、しんみりしんみり笑う。どっぷり秋。

2018年11月 1日 (木)

霜月

スーパーに、ポインセチアとちっちゃなもみの木が並んで、今日から11月。

今秋は、人生初の柿ブーム。柿ってこんなに美味しかった? 風に吹かれるススキのうつくしさも再発見。もしかして、グレイヘアともつながっているのかな?帽子を被るために、前髪を短くそろえた。青が「何かに似てる…」と言う。「はい、ひょっこりはん」「それ〜〜!!」。まじで?
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