2018年9月20日 (木)

ことば

台風が過ぎて、停電が復旧し、停電疲れなのか夏の疲れなのか、いつものことなのか、からだ全体が眠いまま、強風に流れる雲のように日々が過ぎた。

石部明「THANATOS 4/4」もようやく発送。一応これで、最後です。生前ほとんど接点がなかった石部さんについて、作品だけでなく、人物にもすこし触れることのできた貴重な機会だった。

「THANATOS」に、某句会報の辞退の申し入れを同封した。誌代のない会報で、ご好意に甘えてずっとご送付いただいた。次こそは、次こそは…と思いながら、出席できないまま二年あまりが過ぎてしまった。日ごろ接点のない方々の作品を読むのもたのしみだったけれど、費用も労力も会の皆さまに申し訳ないとかねがね思っていた。
この機にとしたためたはいいが、一筆箋。送ってしまってから、どうしてきちんとお手紙を差し上げなかった…と、後悔しきり。

あおが佐賀県に出張したついでに、母と妹に会ってきた。「おねえちゃんのLINEはものすごくそっけないし、私に何も言ってくれない…私、嫌われてる気がする」と言う叔母(私の妹)に、「桐ちゃんは誰に対してもそんな人です。行き届かないうえに、細やかさもなくて、何度も失敗して反省もするのに直らないから、それでフツーです」と返したらしい。どんだけ〜。

私には分からない。LINEで何を話せばいいのか…。なので、これについては反省もできない。でも、一筆箋は反省している。ことばを扱っているのに、きちんとことばが届けられないって…ダメダメだ。

2018年9月 7日 (金)

あかり

台風21号、大型で暴風に注意とあれほど言われた。一応、ベランダのモロモロは隅に集めておいた。21号にすれば、なめとんか〜だったのだろう。ぜんぶまとめて、ベランダを右へ左へ投げ飛ばす。植木鉢の土がベランダ中にまき散らされ、ちりとりが割れて飛ぶ。板切れや得体の知れないものも、空を舞っていた。

2時半ごろに、停電。停電なんて3時間ほどで復旧するよね〜と、うちら陽気なボケボケ母娘。  昼寝して、日暮れて起きたらさあ大変。懐中電灯は電池切れだった。
待てど暮らせど電気はこない。アロマキャンドルを灯して、冷凍チキンライスを炒め、オムライスに。ネットで調べると、ツナ缶にこよりをさして簡易ランプができるとある。ツナ缶をさがすも、こんなときに限ってカニばかり。
雨もあがったので、食後は乾電池をさがしに出る。3軒めのコンビニがやっとあいていたが、当然売り切れ。お弁当もパンも、見事にからっぽ。飲食店の入ったペンシルビルの前には、消防車が2台と救急車が到着。新店オープン前のママが様子を見に来て、自動シャッターに閉じ込められたらしい。ヤジ馬の一人が言うには、あまりの暑さにママは裸で、脱水症状で救急要請したとか。男性たちの首が、3センチほど伸びる。
一晩中、緊急車両のサイレンが鳴り止まない。

一夜明け、家にいても何もできないし、テレビもラジオもなく情報が入らないのでジムへ。さすがに、人が少ない。
うちの家は水が出たけれど、近隣のマンションは水も出ないうえに、オール電化で調理もできないところが多い。隣りの家の瓦で窓が割れたとか、室外機が飛んだとか…日ごろ話したことのない人からも被害状況を聞いた。
午後は、図書館へ。帰りにカフェでスマホの充電をしようと思っていたら、図書館に充電コーナーが用意されていた。こういうサービスは、ありがたい。順番を待つうちに、新しく増設もしてくれた。すると母親と中学生、小学生の親子がやってきて、スマホ3台に、予備バッテリー、携帯用扇風機、ゲーム機やらだだだーっと差し込んで、あっと言う間に独占した。気持ちは分かるけど…。
昨日で少しは学習したので、明るいうちにベランダを掃除。土鍋でご飯を炊いて、ほうれん草炒めも作る。冷蔵庫は、とにかく開けないようにして、危ないものを冷凍室に移す。
夜、ジムのシャワーを使いに行く。

停電3日め。さすがに冷凍食品も溶けていた。ゴミの日なので、ええいっと全部捨てる。非常時に人はよくことばを交わす。そして、誰もが少しやさしくて、震災のときを思い出す。おとなりの人と、「夕べは、土鍋でご飯炊いて、レトルトカレー」「毎日、キャンプみたいやね〜」「ほんまそれ、したことないけど」……なるべく、笑う。
北海道で大きな地震。ジムのウォーキングマシンにテレビがついていたのを思い出し、またジムへ。痛ましいニュースに胸が痛む。おかじょうき、水脈の皆さんはだいじょうぶなのだろうか…?
夜は、さすがにそろそろ明るいところでご飯食べたいと青が言うので、近所の焼き鳥屋さんへ。帰りに、自宅への角を曲がって明かりが見えたとき、うれしさがこみ上げた。エレベーターに乗り合わせた人みんなで、しんどかったですね〜と労い合う。サラリーマン風の男性が、「金魚が二匹死んだんです。ポンプが切れて…」、はじめて言えたみたいに言って、言い終えても指をちょきにしたままだった。

災害がつづき、全国各地で辛い思いをしている人がいる。一日も早く、平穏なくらしが戻りますように…。これ以上、災害のつづきませんように…。ただ祈るばかり。

2018年9月 3日 (月)

雨への備え

この前、教室の生徒さんが教えてくれたのだけど、大雨の前に窓にガラスクリーナーを噴射しておくと、ピカピカになるそうです。洗車みたいな感じかな。明日、試してみよ!

明日は、ジムは臨時休業。スーパーも午前中のみ営業。それでいいと思う。みんな無理はやめましょう。

2018年9月 2日 (日)

いちまいのはがき

プリンターの上に、裏の白い紙をのせている。原稿チェックとか、裏紙でいいときにそれを使う。プリンターでコピーをとるときは、それをどけなければいけない。その一番下には、一枚のはがきを置いている。
コピーをとるのは、そう多くない。月に1回あるかないか。そのくらいの頻度で、目にするようにあえてそこに置いている。今日も目に入った。

はがきは、昨年の2月、新聞の投句のはがきに混ざって届いた。差出人の名前はない。大きな力強い字で、「川柳選者 八上桐子さん 今年で止めて下さい」と書かれていた。
すぐに、担当デスクに連絡をした。もし他にもこんな声が届いているのであれば、正直に言ってほしいとお願いした。そのような声はまったくなく、本来なら、ご本人の目に触れるはずのない匿名のはがきを届けてしまって…と恐縮された。

届いたのは、なかなかのタイミングだった。その前月に、友人が自らいのちを絶った。半年前に、桐子さん以外だれにも会いたくないと連絡のあった友人だった。毎日のようにメールをしたけれど、会いに行けたのは3回だけだった。私はどうすればよかったのか…泣くこともできなかった。
共通の友人から、「(別の人の自死の話を)もっとちゃんと桐ちゃんに話せば、Rさんは救えたかなあと思うことがあってん。でも、そんなん思ってもしゃあないね」と、メールが届いた。私を責める意図ではまったくない。それでも、私でなければ救えたかもしれない…ということが、どうしようもなくくるしかった。あまりの取り返しのつかなさに、それでも自分を保っていることを申し訳ないと思った。

そんなときに、はがきは届いた。すうっと血の気が引いた。
はがきは破棄してくださいと言われたけれど、なぜか捨てられなかった。
自分の句が抜ける抜けないだけでなく、選が納得できない選者に、交代してほしいという気持ちは分かる。せめて理由を聞かせてほしいと思うし、匿名は残念だとも思うけれど…。
このはがきは捨ててはいけない気がした。
新聞の選をさせていただいて、もうすぐ丸七年。はじめて選をしたとき、とても怖かった。あのときの気持ちを思い出させてくれる。ありがたいことかもしれないと、思えた。

2018年8月22日 (水)

△のわけ

日曜日のねじまき句会は、「ねじまき#5」掲載(予定)の句会。

いつもとは違うスタイルで、 ◎、○、△(逆選)の3句を選んで合評。選句に評価基準なりポイントがあるように、逆選にもそれぞれ選ぶ理由がある。ボツ句にも、素通りできないボツ句と、ボツ中のボツがあって、素通りできないボツ句には読み手をゆさぶる「何か」がある。そういう△なら、よろこんでいただきたいと思った。
通常の合評では、作者が伏せられている方が言いたいことを言いやすいのだけれど、覆面脱いでからの場外乱闘みたいな展開で盛り上がった。
作品は、本の発行まで発表しないでおきます。特別企画というプレッシャーのせいか、1週まわって魔が差したみたいな句を出したので、たのしみにしてください。(ちゃっかり)

2018年8月18日 (土)

サプライズ

元同僚、硬派のテンネンMさんと、ベトナム料理。
前菜盛り合わせと、看板メニューの蒸し春巻きを選び、「Mさん何がいい?」。真剣にメニューを見るMさん。「……あっ、カエル。中学で解剖したとき、すごく美味しそうだったんです!やっと食べれる〜!!」。さすが、Mさん。というわけで私も食べました、カエルの唐揚げ。スパイスがきつくて味はよく分からないけど、ちょっと臭かった。
2軒目は、とっておきのBARへ。マスターが、「去年、花火の日にお嬢さんとお着物で来られましたね」って! 驚異の記憶力。プロフェッショナル!!

Mさんのお母さんは、わらび採りの最中に大腿骨を骨折。病院からの電話で駆けつけると、痛みに唸りながら、山のようなわらびを「もったいないから食べて」と仰ったとか。「手術って、どのくらいかかったの?」「手術自体は、4時間くらいだったと思うんですけど、終って先生が出てきたときに髭が伸びてて、びっくりしました」。さすが、Mさん。

帰宅すると、東北を旅してきた友人からLINE。男鹿の花火は、メッセージ花火というのがあって、「○○さん、結婚して下さい!」ドーン!!みたいなのがあるらしい。「勢いでOKしてしまいそうやね」と青に言ったら、「どんだけサプライズに弱いねん。判断力鈍りすぎやろ」とばっさり(泣)

2018年8月12日 (日)

日にち薬

駅へ向かう一つ目の角に、白い猫、黒い猫がいたりいなかったり。白い猫は、視線を合わさず目の端で私の動きを追う。黒い猫は、視線を交わす。(足、治ってきたんや)みたいに尻尾をゆらして、見送ってくれた。

2018年8月 8日 (水)

富士山登頂

Img_1418_4 お日さまは、光が射したかと思うとみるみるうちに全身が現れ、それはまさに生まれ出ました。光は力強くて輝かしくて、光に洗われる思いがしました。

昨年の反省を生かして、頂上までは約1時間という8合5勺にある山小屋、その名も「御来光館」に泊まり、2時45分に出発。頂上までは大渋滞でひやひやしながらも、ぎりぎりご来光に間に合った。
上りは、夫の「あれが山小屋、もうちょっと」に、田部井純子さんの「あきらめずに一歩一歩登っていけば、自分の夢はかなえられます」の言葉を思い出し、(一歩、一歩……)と唱えながら足を出して進む。やっと小屋へ辿り着いたら、名前が違う!!「あれ、次やった。もうちょっと」に、また(一歩、一歩……)、さいごの力を振り絞る。着いた!「蓬萊館」!!また違う!!!バキッとこころが折れた音がした。「二度と、あともうちょっとって言うな!!」。キレる。「桐ちゃん、アンパン売ってるよ。買おうか。上にないかもしれないから、買っとこうか」。青に機嫌をとられる。子どもか!「買う!!!」。買うんか〜い。
Img_1421_2 さて、何とか御来光を拝み、下山。このルートは、7合目まで単調な砂利道が延々つづく。すべりやすくて踏ん張るせいか、8合目くらいで左膝が痛みだす。エアサロンパスをふって、サポーターをするも右膝も痛みだし、次第に膝が曲げられなくなくなってくる。「7合目の救護所でテーピングしてもらおう」と、7合目まで辿り着くも、救護所のあるのは上りルートのみで下りにはないという。誘導員さんから「みんな膝は痛いですから」と言われ、膝を壊してしまうかもしれないと覚悟。
Img_1423_2 そこに、馬が現れた。5合目まで運んでくれるという。夫がすかさず「いくらですか?」。「1万5千円です」の「です」にかぶせて「乗ります!!」。ここはもう、お金より膝。ヨーロッパ生れの3歳牡馬、ダルメシアン柄のナルト君は、私がまたがるとウンコをして歓迎を表してくれた。青は「いいやん、また石橋芳山さんがつっこんでくれるわ」と笑う。途中、霧に包まれた馬道を抜け、石畳をカポカポ……乗馬で優雅に下山したのであった。
Img_1424_2
一夜明け、爆発的筋肉痛で、膝の痛いロボットの動きを体感中。
青は、某所へ川柳10句を出さねばならず、どうしよう…どうしよう…と言うばかり。川上三太郎先生の「恐山ピンク」へのオマージュで「富士山ターコイズ」とか「富士山トイピンク」とかどう?とすすめておく。

2018年8月 3日 (金)

深みどりの窓口

名古屋が40℃を越えたというニュース。その名古屋行きのチケットを買いに行く。

歩道が日陰になるのを待って、JRへ。一つしかないみどりの窓口は「ただ今、集計中のためしばらくお待ちください」の札が立てられ、ブラインドが降りている。おじさん、大学生のうしろに並ぶ。時計を見ると4時5分。おじさんと大学生はどのくらい並んでいるのか、しきりに隙間から窓口をのぞく。暑い。おじさんの背中はシャツが汗ではり付いている。5分が経過した。学生さんに、「集計にどのくらい時間がかかるか聞いてくるので、順番とっておいていただけます?」とお願いすると、うれしそうに頷いてくれた。
改札へまわると、窓口の内側が見える。1人が電話応対中で、あと2人が立ってしゃべっていた。「集計ってどのくらい時間かかるんですか?」「えと、集計自体は終ってるんですけど、23分着の列車で車椅子応対しないといけないので、それが終ってからです」。
列に戻って、おじさんにも聞こえるように学生さんに報告。「10分あれば、1人か2人くらい対応できそうなのにね」と言ったら、「先週来たときも2人並んでて、2人くらいすぐだろうと思ったら、全然進まなくて諦めたんです」と言う。目の前に「きくぞうボックス」という意見箱があったので、「今、書いて入れる?」と言ったら笑っていた。
23分着の乗客が全員改札を出て、それから窓口は開いた。「お待たせしました」とかはなかった。おじさんの払い戻しにつづき、やっと学割切符を購入できた学生さんは改札に行きかけて、振り向いて「あ、お先に…」と言ってくれたので「おつかれさま」と返した。窓口の「お待たせしました」は、やっぱりなかった。

2018年8月 1日 (水)

版画家で陶芸家の江崎満さんは、句集を作っていただいた出版社「港の人」と私に共通の知人。大阪のギャラリーで個展が開かれたので会いに行ってきた。先月のこと。

江崎さんの学生時代から、結婚、そして版画をはじめたきっかけの話になった。「最初の子が水頭症いう病気でな、重度の障碍児でな、ほんまに何もできへんのや。「海」いう名前でな。おむつしてな、寝てるだけでな。この子を背負っていくんは重いなあと思っとったんや。…それが、ある日な、海がかがやいて見えたんや。絵なんか書いたことなかったけど、海を書きたい思たんや。それで、たまたまテレビつけたらな、棟方志功が版画を彫っとってな、すぐに彫刻刀と板買うてきて、海を彫ったんや…。死んでしもたけどなぁ……、海がなぁ……いろいろ教えてくれた……」。太いまっすぐな声だった。

人に「生産性」などということばは、使うべきでない。

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