2017年3月22日 (水)

夕べの空気

帰宅した青が、「『カルテット』の最終回〜〜!」とあわててTVをつけたので途中から観た。はじめて観たので、まったく意味は分からなかったが、あとで長々とストーリーを解説してくれた。
青によると、ミステリーや、恋愛要素も取り入れた含みの多いストーリーに、キャストの良さ、何より、ロケーション、ファッション、料理など、全体の空気感がよかったのだとか。
「満島ひかりも高橋一生のファッションもぜんぜんいいと思わなかったけど…」と言ったら、「それは、桐ちゃんがトシとってるからや」とバッサリ!!
「カルテット」のよさを語るのに、青が何度も口にしたのが「空気感」。「なんて言ったらいいかなあ…空気感なんよ」。

「空気感」というのは、無意識とつながっている気がする。見聞きしたものに心地よさを感じるとき、あるいは違和感や嫌悪を感じるとき。空気感が働いているとは言えないか。
川柳には、たいてい意識化した空気感を書いてしまう。空気感を空気感のまま表現すること、これはむずかしい。選評で空気感をどう書くかはさらに悩ましい。

2017年3月16日 (木)

川柳眼て?

南京のマッサージ店で働く盲人たちの人間模様を描いた、「ブラインド・マッサージ」(畢飛宇著 白水社)を読んでいる。

人間ドラマとしても深い作品だけれど、「まなざす」ことが決して視覚だけではないことに気づかされる。見えないからこそ見えるもの。これってやっぱり盲点じゃないかな。

2017年3月15日 (水)

いきなり川柳

丸山進さんだったと思う。川柳はさいしょに誰と出会うかが大きい、とおっしゃっていた。川柳と言っても幅が広い。川柳をはじめようと言う時、たいていの人は近くの教室とかに入って、それを川柳として書きつづける。いやほんとに、誰とどこと出会うかは大きいと思う。

なので、教室では自分の書きたいものを見つけていただけるように、いろいろな川柳や時には俳句も紹介している。実際、川柳はわかりやすくあるべきと去って行かれた方も、俳句に転向された方もあった。
川柳なんて教えたら、個性を潰してしまうと言われた方もあった。それも、一理あると思う。でも、私自身は教わりたがりで、ちょっとしたコツやポイントを習うのが大好きな生徒体質。そんな方もおられるのでは…と、せっせと資料を作っている。

4月8日からはじまる「いきなり川柳」は、句材の把握、表現、読み、推敲…と、作句のプロセス一つひとつを丁寧にすすめる教室。実験的な教室なので、どうなるかドキドキ…。体験会では、「川柳はたのしいですからぜひつづけてください。ここでなくてもいいですから…」と、押しの弱さだけは一流。
今の教室の体験会のときは、終了後にアンケートに記入いただくときに「入会するまで部屋から出さないとか、そんなことはありませんので安心してくださいね」と言ったら、それがおもしろいと入会してくださった方があった。なんだかんだ言って、縁と相性かも。

2017年3月12日 (日)

夜のこころ

先日、葉ね文庫でもとめた詩集、尾形亀之助「美しい街」を何度も読み返している。
亀之助さんは、夜のこころの持ち主。夜の眼でものごとを見つめる。しずかに、あわてず、ただ見つめる。見えるまで見つめる。

  夜がさみしい

眠れないので夜が更ける

私は電燈をつけたまま仰向けになって寝床に入っている

電車の音が遠くから聞えてくると急に夜が糸のように細長くなって
その端に電車がゆわえついている

2017年2月27日 (月)

さきおととい、おととい、きのう

24日(くもり) 久しぶりに「春鹿の会」へ。本日のお酒は、滋賀の「松の司 産土」。口当たりよくさっぱりしたお酒で、くいくい飲んでしまう。二代前の板前さんが戻って来られて、お皿や小鉢も、古いものが復活。それもまた味わい深い。私のとなりには、昭和5年生まれのお爺ちゃま。お酒をいただいてほわわんとなると、なんでしょう、もうほとんど妖精。
帰宅したら「ねじまき#3」が届いていた。青から○の句が4句(20句中)しかないと言われた作品が掲載されている。あー、それに三好さんの作品鑑賞も。見たい。こわい。見たい。こわい……。なかなか箱をひらくことができない。

25日(晴れ) 大阪短歌チョップ。イベントの告知からして違う。私のような方向オンチでもすいすいたどり着ける会場案内に、ランチのお店紹介まで行き届いていて感心する。あれも聴きたい、これも見たい…イベントが盛りだくさん。感想はいっぱいあるのだけど、何と言っても石井僚一君!!!!!
2014年に父の死をうたった作品で短歌研究新人賞を受賞。直後、父が生きていたことで虚構論争が起きたことは記憶に新しい。昨年、「石井僚一短歌賞」というのを目にして、私は同姓同名の歌人がいるのだと思い込んでいた。な、なんと、本人だったとは!
しかも、なぜ自分の名を冠した賞を?に、「やりたいと思ったから」。さすが平成生まれ。ここまでぶっ飛んだら、わらってゆるすでしょう。
スタッフも来場者も若い!パワーがすごい!もう川柳は滅びるしかないかも。残された道は、廃墟マニアの集まりみたいな感じかな。それはそれで、おもしろいか。

26日(晴れ)カフェタナトロジー。東北の看取り文化についてのお話を聴く。宮城県で在宅緩和ケアをすすめてきた故岡部健医師の話より。往診の際、亡くなった親族などが傍に来ている…いわゆる「お迎え」を体験される方が少なくない。死を間近にしたときに、死者と感覚的につながってゆく。そのことで、安心してあの世へ逝くことができるそうだ。お迎えは、やっぱり親族みたいだけど、それもやっぱり地域性なのかなあ?都市部のお迎えも、聴いてみたい。
帰宅したら、「川柳木馬」が届いていた。とうとう来たよ〜。青に見せたら「桐ちゃん、鑑賞はまあまだいいけど、こういうのなんて言うの作品評?作品論?今度から断った方がいいで」と言われた「徳永怜を読む」。引き受けてごめんなさいです。見たくない。こわい。見たくない。こわい。封筒をひらくことができない…。

2017年2月20日 (月)

立っち

公園のベンチでぼんやり。
公園デビューだろうか。ころころの赤ちゃんと、初々しいママ。赤ちゃんの足には、まだあたらしい靴。ママは芝生に、ユウたん(そう呼んでいた)を座らせる。ユウたんは、立っちブームらしい。ママバッグを支えに、前屈みの姿勢からまず腰をくいと持ち上げ、そこへ上半身をよいしょと乗っける。仁王立ちの一瞬、ユウたんは発光する。ドーパミン、セロトニン、エンドルフィンにアドレナリンが、体外に放出されるのかのように。「立つ」というのは、それほどうれしいことなのか。
私も、ベンチからゆっくり立ち上がる。ありがたいような、こそばさを感じながら。それからゆっくり二足歩行で公園を出た。

2017年2月18日 (土)

うさこちゃん

ブルーナさんが亡くなった。いつのまにかミッフィーちゃんになっていたけど、私にとってはうさぎのうさこちゃん。
母なんかは、こんな無愛想なうさぎのどこがいいの?とふしぎがってたけど、無表情だからこそ、子どもが(おとなも)あらゆる感情を重ねることができるのですね。

一見なにも言っていないようでいて、読み手を抱きとめるような、うさこちゃんみたいな川柳が詠めたらいいなあ。……うさこちゃん川柳!。

2017年2月16日 (木)

小ネタ

宝くじ100万円当選した知人から、ミックスナッツをもらった。イタリア産白トリュフ、フランス産ゲランドの塩、エキストラヴァージンオリーブオイルで味付けされた贅沢な一品。なんでも、ヨーロッパファーストクラス日帰りやー!と意気込んだものの、100万じゃ全然足りなくて、100万てそんなもんかとなって、姪っ子の結婚祝いに50万ぽんと渡し、残りで高級おつまみやらを大人買いしたそうだ。100万では人生狂わんな…と、ナッツをぽりぽり。高級すぎて、美味しいのかどうかよく分からない。きっとおいしいんだと思う。

ジムの休憩スペースで、おばちゃんたちから「この人センス悪いなあ」「似合ってないなあ」とdisられていたのは某防衛大臣。見た目なんてどうでもいい話なのだけど、彼女の髪型、メイク、ファッションは女性に不評らしい。何となく気になって画像検索してしまった。たぶんご本人は知的でかわいいを目指しているのだと思う。なんだろなあ…AVの女教師路線寄りな気がする。

2017年2月14日 (火)

【再掲】時実新子の一句

今年も募集しております。

いま、こころに響く新子の一句と、コメント(50文字以内)をお寄せください。
明日までです。 こちらへ senryuso@yahoo.co.jp
今年は、読み合う会終了後、場所を移して軽い懇親宴を予定しています。お時間ゆるす方は、当日ご参加ください。

2017年2月12日 (日)

よかれ

もうかなり前のことになる。

A子さんから、Yahoo!ニュースで自分の仕掛けたイベントが紹介されているので見てほしいと連絡があった。彼女はホームレスの人たちを支援する施設に働いていた。遠距離恋愛の彼がなかなかプロポーズしてくれないという同僚の誕生日に、内緒で彼を呼びフラッシュモブで公開プロポーズ。OKした彼女をカーテンで隠して、ウエディングドレスを着せてみんなで祝福。彼、彼女、スタッフ…食堂は涙と笑顔に包まれたとあった。企画者のA子さんのことばとして、「だれかの結婚式に立ち会うことなど一生無いであろう入所者の人たちにも、結婚式を味あわせてあげたかった」とあった。
A子さんから連絡をもらった友人たちの反応は、「やっぱりA子さん、すごい!」とか「入所者の人も感動したでしょう」とかで、私も同じようなリアクションをしたと思う。

ふいに今日、そのことを思い出した。入所者の人たちは、その場に居合わせたことを、ほんとうにうれしく思ったのだろうか?と疑問がわいた。もしかして、たいへん酷なことだったのではないか。わからない。立ち会えたことをよろこび、心から祝福した入所者の人もいたかもしれない。けれど、自分が一般的なしあわせとは縁のないところにいることを、再認識させられた人もいたのではないか?…ときに善意は暴力にもなる。
だれかのために「善かれ」と思うことが、近ごろとてもこわかったりする。「さすがA子さん」と思ってしまったりする私だから。

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