2018年1月18日 (木)

訪問者

句会から帰宅したら、家の様子がどうもおかしい。
テーブルには、古本屋行きとして玄関に置いていたはずの山口百恵の「蒼い時」。客用の湯飲み茶碗が一つ。冷蔵庫には、上等そうな苺。そして、空気中にかすかな腐敗臭…。

仕事が休みの青が寝ていたら、鬼のようなチャイム。まさかのおばあちゃん! またしても、おじいちゃんと大げんかしてのプチ家出。お正月の大掃除で、奇跡的に家がかたづいていてよかった。
青は、美術館に行く予定だったのに、おばあちゃんは夕方まで居座り、なぜか頻繁に入歯を出し入れしながら、気がつけば入歯を握りしめ、おじいちゃんへの不満、腰の痛みに自律神経の不調、入歯の不具合、医者や嫁や息子の愚痴、近所の噂などなど、ときに激昂し、ときに泣声で訴えつづけたらしい。彼女には、どんなアドバイスもなぐさめも通用しない。「そうかて…」「そやけど…」「なんで私だけ…」、すべてをネガティブへと受け流し、負のエネルギーを充満させたのであった。

そのおばあちゃんが持って来たのが、簞笥に眠っていた未使用のストッキング。ビニールは埃でくもり、ぬか味噌をうすめたような匂いがする。「桐ちゃん、使ったら」「えっ、引出しに入れたら、虫わきそうやん」「とりあえず、袋から出しで一回干そう」
Img_1076それが、こちら。
左端は、「ミディアムコアラ」という、聞いたことのないカラー。どれかは忘れたが、「男女兼用」というのもあった。笑った。
おじいちゃんとおばあちゃんのけんかの原因がしょうもなさすぎて、泣くほど笑った。
明日も、おばあちゃんが来そうで、こわくて大声で笑った。

2018年1月12日 (金)

理解を生むこと、感動を生むこと

書家 沢村澄子さんの「書の率意を考える」という評論を読む。

「率意」とは、簡単に言うと、意のまま、筆のおもむくままに書かれた書。「率意」の対義語にあるのは、「用意」。用意の書とは、何を書くか、どう書くかなど思いのある書作で、指導者や手本に従う「依存型用意」と、自らの意思による「自立型用意」とがある。
現在の書壇は、依存、自立をを問わず、圧倒的に「用意」の書が多い。それは展覧会や公募展が、明確な書法(技術)、書表現で評価されつづける一方、「率意」の書は評価基準の共有が難しく、姿を消してきたという。
(以下引用)……この「用意の時代」において、そこに生きる人々が「互いに理解し理解されること」を最重要視しているように見えたこと、その発見である。わたしはここに居る。こうして存在している。それを他者に認知されたい、評価して欲しい、そして互いに理解し合い、他者とつながっていたい。多くの人がそう望んでいる。わたしもまたその例外ではなく、このような説明的記述を残した。かの空海でさえ、風信帖を書きながら最澄に自らの存在を訴えている(ゆえに、私は風信帖に「用意」を直感した)。
この願いを決して見下してはいけない。わたしはそう思った。それは人間が存在する以上、自ずと生じてくる懐かしい感情なのだ。愛くるしい、人間らしい、幸せな感情なのである。これを確固と認識できたことは、自身、大きな収穫だった。
しかし、それでも頑として言うが、芸術をする精神とは、それ以上に爆発的、破壊的エネルギーに満ち満ちたものでなければならない。絶えず関係を壊し、秩序を変え、そこにエネルギーを生み出し、生命ほとばしる次なる新しいものを創ってゆく。そのような、どこまでも果てしなく生産的なものであるべきはずのところで、自己に執着する愛くるしい感情、小さな自我を抱いていて、どうしてその巨大なエネルギーの生まれてくることがあろうか。

2017年12月 7日 (木)

くるくる

 電線にあるくるくるとした部分   上田信治(句集「りぼん」邑書林)

Img_1050_2 三年ほど前に、青が作った電線ジュエリーを思い出した。
これを作るために、一日電線の写真を撮って回った。自転車で、市内をくまなく走ってお尻が痛かった。

にしても、こういうのに気をとめる人がいるのだなあ…。

2017年12月 5日 (火)

あぁーー

師走の電車で神戸へ。

淡いピンクのコートはカシミアだろうか、仕立てがよい。肩にかかるゆるいウエーブヘアには、ゴールドをあしらった白いリボンのバレッタ。ランチパーティーにお出かけのマダムだろうかと、うしろ姿を見ていた。と、……肩甲骨のところの黄みどりのは……動いた!カ、カメムシ!どうしよう…カメムシついてますよと言えば、取ってくださいってなるよな〜。手で払ったら飛んで、周りがぎゃー!ってなるよな〜。次の終点まで、手の中に握っとく?ティッシュ、ティッシュ…ともたつくうちに駅に到着。動いたら何とかなるかと思ったら、カメムシは這い上がって髪に掴まった。髪が揺れて、海老ぞりみたいになりながらも体勢を持ち直し、蜘蛛の糸状態でしがみつく。カメムシは飛べるのに、なにを恐れているのだろう?そこでマダムは小走りになり、私とは別方向へ行ってしまった。
カメムシ、取って差し上げるべきだった。

神戸のランチでは、せっかくだから話題の「世界一のクリスマスツリー」を見ますか?と誘われる。「嫌だから見ません」。自分でも驚くほどの即答で空気を凍らせてしまった。
Twitterで流れてきた意見や、新聞記事を読んだところだった。運ばれてきた樹齢150年の木がかわいそうとか、そういうことではなくて、そこに付け加えられた「ものがたり」が、批判に応じてすり変わっていくところに違和感を感じた。プラントハンター氏のメッセージ(反論)も、「なんでそんな上からなん」と2回突っ込みながら読んだ。ただのクリスマスイベントとしてやっていれば、ここまで炎上しなかったのではないかと思う。震災犠牲者の鎮魂とか、子どもに夢を与えるとか、後付けされた感に胡散臭さを感じてしまう。極めつけは、新聞社のインタビューに答えての、「ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」発言。子どもじみた売り言葉に、子どもじみた反応をする私(泣)
自分の目で確かめたうえで判断した方がよかったかな…とも思う。

あわただしい中で、あわただしく反省。

2017年12月 2日 (土)

おっ!

Img_1049 俳句の小さな冊子。 タイトルも、紙もデザインもおっしゃれー!

俳句や短歌は、印刷物もWEBもハイセンスなのが多い。

  嚔その刹那アルハンブラを見た      西原天気

サブリミナル的アルハンブラ…やられた。

2017年11月26日 (日)

珈琲の粉のふくれる人生相談

つづきの会、雑詠。

車谷長吉さんの人生相談「人生の救い」を読む。同居する義父母の干渉と、多忙な夫とのすれ違いで心の病を発症したという40代の主婦の「義理の親を看取る理由は?」への回答は、義父母の看取りが厭なら逃げ出す以外にないが、逃げれば今よりさらに苦しい思いをする。人間としてこの世に生まれて来たことに一切の救いはなく、だから人はお遍路に行ったりする。自分も遍路に出たけれども、作家としての自分に救いがないことが分かった。…と説き、最後には、あなたさまを含めご一家の人には救いはないと思います。それを覚悟なさるのがよいと思います。と、書かれていた。ほとんどの悩みに救いはなく、自然に触れることや、散歩をすすめておられる。山の中で歌ったり、畦道でおにぎりを食べるなどすると楽しいらしい。
本を伏せて、珈琲を淹れる。いつもよりゆっくり湯を注ぐ。日暮れどきに、よくビルの植え込みのところに腰掛けて、紙パックの「鬼ころし」を飲んでいたおじさんのことを思い出す。あのおじさんは、人生をよく分かっていたのだなあ。

2017年11月17日 (金)

水曜日の手紙

素掘りのトンネルの先に、そのむかしは漁港だった海。そこにしばらく「水曜日郵便局」が立つ。私の水曜日を送ると、だれかの水曜日が送られてくる。見知らぬたった一人のだれかへの手紙は、川柳にも似ています。

「鮫ヶ浦水曜日郵便局」に手紙を書きませんか?詳しくは、こちら。ただし、今日は金曜日なのでおやすみです。水曜日にご覧ください。

2017年11月15日 (水)

シャンデリア

ジムのポルドブラの緊急代行がスマホに流れてきた。ユン先生、風邪でもひかれたかな。

今日は総仕上げのはずだった。ポルドブラは、振り付けは練習曲でレッスンして、通して踊れるようになってから仕上げの曲に合わせる。練習のあいだ、いつも仕上げの曲を勝手にイメージする。
今回、私の予想では、Bruno Mars 「Talking To The Moon」だった。
実際は、Sia 「Chandelier」。大はずれ。
それにしても、人形が踊ってるみたい……。こういう舞踏系の身体能力高いの、すごく好き。ことばのない表現でいちばん好き。

2017年11月13日 (月)

黄昏のゆめ

急に冷えたせいか、異様にねむい。仕事にならないので夕寝をする。目が覚めて、夢をメモしてまたねむる。

蓋付き碗の蓋をとると、中央に団子状のもの。なんだろ?と見ていると、一本、二本と足が動きはじめる。蟹だ、仰向けの蟹だ。手にしたスプーンで、思わずお腹を潰す。…夢占いによると蟹は母性を表すらしい。なんてことだ。
露天風呂に入っていたら、男性が入ってくる。見覚えがあるが思い出せない……。眼鏡だ。この人はいつも眼鏡をかけていたはず……!!!ムンジェイン!そうだ、間違いない。あいさつした方がいいかな…?何語で…?…混浴風呂に入る夢は、気持ちが浮ついているらしい。なかなかすごい浮つき方だ。
青に、ムンジェインさんは眼鏡の方が断然いいねと言ったら、「お風呂に入るときはしゃあないやろ。てか、ほんまに見たみたいに言うな」と嗜められた。

2017年10月10日 (火)

老ける

眼鏡を買いに行く。外用の眼鏡は、富士山で転んでレンズに傷がついたのでレンズ交換。(余談だが、左肩打撲も整骨院に通うはめに。富士山、高くつきました。)
もう一つ新調することにして、青にいっしょに選んでもらう。
声美男の品のよい男性がしずかに丁寧に接客してくれて、3点まで絞る。順ぐりに試着。「これがいちばんフツーのおばさんぽいね」「ぜんぶフツーのおばさんですけど」という私たちのやりとりに、声美男氏は吹き出しもせず全力でフォロー。「いえ、そうですね。そちらがなんと申しますか、一番ナチュラルで、眼鏡が主張しないと申しますか…」。店員魂にほだされて、いちばんおばさんぽいのを購入。

それから、最近気になっていた星占いダイアリーを書店に見に行く。「あー、天秤座がない!」「下の棚!」「あー、天秤座がない!」「あるやんか!なんで子どもみたいに、すぐ、ない、ない言うの!」。叱られるなんて……。
そして、帰宅。エレベーターホールで両手に買い物袋を下げた私に、小学生の男の子が、「一つ持ちましょうか?」と言ってくれる。「ありがとう、大丈夫です」とふっと見ると、右手を三角巾で吊っている。運動会の練習で骨折したのだとか。そんな状態の子に労られるなんて……。わたし、どこかで玉手箱でも開けました?

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

無料ブログはココログ