2016年9月10日 (土)

枯れる

近ごろ、立ち枯れている草花によく見入る。私もなるべく自然に任せて、枯れるように死を迎えたいと思う。

「人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期」久坂部羊(幻冬社新書)は、とてもよかった。医師である筆者の実体験をもとに、医学的な知識も交えながら冷静な筆致で綴られている。老い、死を受け入れることにも、知識や情報、経験が必要だ。「自然死」「平穏死」を望まれる方には、おすすめ。

2016年5月10日 (火)

宇宙を描いているつもりです

宇宙を描くちゅうことは、
目の前の一匹のアリを見とる
ということと同じなんですね。
その一匹のアリの中に、
そのアリの生活の中に、
形の中に、色の中に、
大きなすべてがが含まれとる……。
     (「絵をかいていちんち」 まどみちお100歳の画集 新潮社)

52歳からしばらく熱中したという、まどさんの抽象画。その中から、35作品を選び、語っている。「自分がこれを描いたちゅうことは、なにか理由があるから描いたんだけど、その理由がわからんことがあるんですね。わからんことがある方が、なおさら自分にとっては魅力的なんです。何だろう、何だろうって感じでね・・」。
100歳を過ぎて、介護付きの病院に入られたのを機に、ふたたび描きはじめられたそうだ。最近の作品には、日付と短いことばが入っている。「フフフ」「へへへ」が多くて、たのしい。まどさんのこころは、きよらかな水が流れているように常にあたらしい。

2016年2月 6日 (土)

キツネがタヌキよりズルそうなのは

タヌキよりキツネがずるいのは、タヌキ(Ta-Nu-Ki)は、先頭子音の(T)の充満感と中拍の(Nu)の親密感が響き合って、「太めでちゃっかり」のサブリミナル・インプレッションを作り出している。その上、語尾母音の(i)は距離の近さを演出するため、親密度をさらに強調する。…(中略)…一方、キツネ(Ki-Tu-Ne)は先頭の(K)、中拍の(T)と強い音が並ぶため、タヌキよりキツイ印象になる。さらに語尾母音(e)は、退いて他人を遠のける感じを作るので、先頭二子音のキツさとあいまって、人を見下げて距離を置くサブリミナル・インプレッションになってしまう。
ことばの音の響きが脳に働きかける、サブリミナル効果について分かりやすく解説されていたのは、「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」(黒川伊保子 新潮新書)。しかし、これでいくと、ヤガミキリコは超、超毒舌キャラ。改名したい…。

2016年1月16日 (土)

火花

「火花」(又吉直樹 文藝春秋)をやっと読んだ。主人公徳永が師匠と仰ぐ神谷のことば。川柳にも当てはまる。

「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」

「一つだけの基準をもって何かを測ろうとすると眼がくらんでしまうねん。たとえば共感至上主義の奴達って気持ち悪いやん?共感って確かに心地いいねんけど、共感の部分が最も目立つもので、飛び抜けて面白いものって皆無やもんな。阿呆でもわかるから、依存しやすい強い感覚ではあるんやけど、創作に携わる人間はどこかで卒業せなあかんやろ。他のもの一切見えへんようになるからな。これは自分に対する戒めやねんけどな」

「論理的に批評するのは難しいな。新しい方法論が出現すると、それを実践する人間が複数出てくる。発展させたり改良する人もおるやろう。その一方でそれを流行と断定したがる奴が出てくる。そういう奴は大概が老けてる。だから、妙に説得力がある。そしたらその方法を使うことが邪道と見なされる。そしたら、今度は表現上それが必要な場合であっても、その方法を使わない選択をするようになる。もしかしたら、その方法を避けることで新しい表現が生まれる可能性はあるかもしらんけど、新しい発想というのは刺戟的な快感をもたらしてくれるけど、所詮は途上やねん。せやから面白いねんけど、成熟させずに捨てるなんてごっつもったいないで。新しく生まれる発想の快感だけ求めるのって、それは伸び始めた枝をポキンと折る行為に等しいねん。…(後略)」

2013年11月14日 (木)

句集「松田俊彦」

昨年8月に急逝された、松田俊彦さんの遺句集が俊彦さんに学んだ有志の手で発刊されました。
句帳として愛用されていたツバメノートの装丁に、厳選100句が収められています。
以前、俊彦さんの句を「辛口吟醸酒」に例えたことがありますが、口当たりのよいやわらかな言葉が染みわたり、こころの固いところが解きほぐされるような酔い心地を誘います。


   きのういた象の姿を見ませんか 

   えんぴつを削ると村の製材所  

   そのかわり金魚一匹買ってきた

   船が出る白い手袋欲しくなる

   風が来てサイコロ振っている枯野

   海から先を考えていなかった

   てっぺんに柿がのこっている眠り

   にんげんの弱いところに咲くさくら

   倒れた自転車が雨をのせている

   きりんの死きりんを入れる箱がない


句集をご希望の方は、「えんの会」中野六助さん(TEL/FAX 075-752-8030)へお申し込みください。1部、1,000円(送料込み)
私も預かっていますので、句会でごいっしょできる方はご連絡いただきましたらお持ちします。送付ご希望の方は、senryuso@yahoo.co,jp まで。

2013年2月18日 (月)

ピンチはチャンス チャンスはピンチ 吉田利秋川柳集

  ねえさんがささのほうたいしてくれた

  お客さん寝てたらイラク行きますよ

  うっとりとしているうちに落ちた柿

  美しい生き方講座五万円

  世間には負けたことない枯れすすき

  遮断機の音も気にせず梅が咲く

  薫逝く メタセコイアが散ってゆく

  わざわいは換気扇からやってきた

  山頂でガスの元栓気にかかる

  姉さんが突然降りた白い駅

        (吉田利秋川柳集 私家版)

面倒なこと、やっかいなことを誰に頼もうか?と迷うとき、つい顔を思い浮かべてしまうのが利秋さん。お願いすると必ずあの笑顔でこたえてくれる。利秋さんは、元高校の先生。生徒さんたちとのエピソードや、新子先生の教室風景、川柳ワンポイントレッスン・・・と、貴重なおまけつき。
川柳集での発見は、利秋さんは、かなしみの極みで詩性が昇華する。人一倍やさしい心は、そのとき現実をとおく離れるのだろう。

2013年2月 8日 (金)

平成二十五年  新家完司川柳集(六)

  駅の名を覚えて忘れ旅続く

  
腹立てていると聞こえぬ春の音

  
ぽくぽくと木魚届いて桜散る

  かんにんなニホンカワウソかんにんな

  鯨捕る村に鯨の墓がある

  にんげんであらねばならぬ爪を切る

  落ち葉炊く匂いが鼻の奥にある

  七十歳あたりで分かる砂の味

  かみさまはおられますよと雪が舞う

  あきらめたとき美しくなるこの世

       「平成二十五年 新家完司川柳集(六) 新葉館出版」

        

 読んでいると、からだの芯からじんわりと温もってくる。
 くすっとおかしい句にも命のぬくもりがあって、完司川柳のおおらかな太き流れのなかには、古き佳き伝統川柳の流れが息づいている。
人であることのよろこびを、しずかに感じることのできる川柳集。


2012年11月20日 (火)

夢のしっぽ 田村ひろ子句集

  いっせいに飛び立つ鳥を見てる鳥

  どの窓も四角で秋の風になる

  一粒の涙のなかに空と海

  迷子だと気づいた夜のヴァイオリン

  花に花夢には夢を見せる窓

  ぬげそうな靴でゆっくり登る坂

  初めてのことが何もなくて秋

  待つだけの毎日だったバナナの黄

  母もいた夢をはみだす波の音

  まぶしさに慣れればただの向こう岸

     「夢のしっぽ」 田村ひろ子句集 あざみエージェント

 
 湧き水のような句集だ。
 水も旅をしている。どこを流れているときも、あの原点に戻るのだという強い意志を持つ水だけが還ってくる。だから、湧き水はやさしく確かな声で、甘み、苦味・・・あらゆる味を含んでいる。
 山の懐で喉を潤し(あ~、生き返った)と思う。読み終えたとき、あの感覚を思い起こした。

2012年8月 7日 (火)

八月の鏡のなかに冷えている

日毎に奥歯が痛くなり、歯間ブラシやつまようじでいじっていたらどんどん痛くなり、ついに歯医者さんへ。歯も歯ぐきもどこも悪くないそうだ。ということは・・・、柔道の応援で奥歯噛み締めすぎ!どんだけ力入れて応援したんだか。

「うたう百物語」(佐藤弓生 メディアファクトリー)。あやしい短歌一首に、みじかいお話。たった500字ほどの世界に、いい具合に引き込まれる。猛暑にぴったりの一冊。

2011年12月10日 (土)

身も心も

本棚を整理して、ようやく古い本が読みやすくなった。
吉野弘詩集をひらいたら、一編の詩に引き込まれた。

  身も心も

  身体は
  心と一緒なので
  心のゆくところについてゆく。

  心が愛する人にゆくとき
  身体も 愛する人にゆく。
  身も心も。

  清い心にはげまされ
  身体が 初めての愛のしぐさに
  みちびかれたとき
  心が すべをもはや知らないのを
  身体は驚きをもってみた。

  おずおずとした ためらいを脱ぎ
  身体が強く強くなるのを
  心は仰いだ しもべのように。

  強い身体が 心をはげまし
  愛のしぐさをくりかえすとき
  心がおくれ ためらうのを
  身体は驚きをもってみた。

  心は
  身体と一緒なので
  身体のゆくところについてゆく。

  身体が 愛する人にゆくとき
  心も 愛する人にゆく。

  身も心も?

近ごろは、ほぼ毎日ジムに通っている。
スタジオでエアロやダンス系のレッスンに入るとき、男性のそばを避ける。申し訳ないが男性は、リズムに合わせられない人が多く、視界に入ると調子が狂うのだ。
今日は、後から入って来た男性が私の前に立った。案の定、手足がいっしょになったり、全部逆になったりしてはちゃめちゃだった。足が左、手が右で・・・と、あまりにも一つひとつ考えながら動いている様子。つくづく男の人は、頭で暮らしているのだなぁと思う。我が身のすべては頭が支配していると思っているんじゃないかなぁ?
身体に心がついていくこともあるって、知ってるかな?・・・と、この詩を読んでふと思った。

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